エムカク著『明石家さんまヒストリー11955~1981「明石家さんま」の誕生』
エムカク著『明石家さんまヒストリー21981~1985生きてるだけで丸もうけ』
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【明石家さんま】オレたちひょうきん族の歴史【1981年~1989年】
★プロフィール
エムカク(明石家さんま愛好家)
1993年より、明石家さんまさんの番組での発言、関連書籍、関連雑誌などを収集し、日々、明石家さんまさんの年表を作成しております(´ϖ`)
著書「明石家さんまヒストリー」(新潮社)発売中!
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★誰も知らない明石家さんま(日本テレビ)
第1弾~リサーチャーとして参加
https://www.ntv.co.jp/sanma2019/
★桃色つるべ(関西テレビ)
出演:笑福亭鶴瓶、ももいろクローバーZ
ゲスト出演させていただき、鶴瓶さんに公開取材しました(^^)
★伝統河内音頭継承者 河内家菊水丸さんとの対談動画
https://www.youtube.com/watch?v=M2RMzTKNFD8&t=1s
★SNS
Twitter
主に明石家さんまさんについてツイートしています。
Tweets by m_kac
Instagram
https://www.instagram.com/m_kac30/?hl=ja
#さんま #上岡 #歴史
今回期待してました。。伝説のポップ対歌謡曲聴きたかった(YouTube探したらありました。)。。小学校やったから聴けなかったので。事あるごとに、上岡龍太郎さん、さんちゃんの事絶賛されてましたよね。。ときめきタイムリーの初回ゲスト、さんまさんだったはずです。その放送の後、ノックは無用出たはずです。パペポ、さんまさんの話よう出てましたね。
配信ありがとうございます🙇♂️
私が物心がついた頃の上岡さんは
土曜日お昼に学校から帰ると家族がいつも「ノックは無用!」をかけてたのでノックさんの横にいる司会者のイメージです。
並行して東京のゴールデン帯の司会者、隙のない怖そうな司会者という印象もありました。
ノックさん、たけしさん、タモリさん、さんまさん、紳助さん、たかじんさん、鶴瓶さん…
誰とでも渡り合えるオールラウンダーだったなぁと思います!!
昔、さんまさんが多用していた早口言葉の「東京特許涂阿玉(とあぎょく)」が好きだったなあ。女子ゴルフ界の変遷で彼の口から聞けなくなったが、変化に対応できる凄い人です。
「さんまに足りんのは知性だけや」と言ったのは上岡龍太郎さんですよね
別に貶したわけじゃなく、そのまんまの意味で・・・BIG3の二人と比べたのかなー?
上岡さんが東京進出してからのファンでした。
東京の番組で最初に呼ばれた番組が、
山城新伍さんの昼の番組『新伍のお待ちどおさま』。
その後1~2回のゲスト出演程度だったと思うのですが。
そのお返しという形で、EXテレビ(大阪)の半レギュラーに繋がった訳ですが。
その辺りを通しで観れて我ながらラッキーでした。
パペポTVもEXテレビ大阪も夢中で観てました。
ギミアブレイクの最初期の頃は、巨泉さんに呼ばれて紳助さんも連れてきて。
巨泉「紳助ってこんなに面白かったっけ?」(上岡さんが面白いのは知ってたけど)
みたいな流れがあって、定期的に二人で呼ばれていたのも覚えています。
(紳助さんが引退されるときは上岡さんに相談されたらしいですね)
上岡さんの引退はとても悲しく残念な気持ちでしたが
亡くなられた事を聞いた時も悲しい気持ちになりました。
NETFLIXで配信された全裸監督で
パペポTVの黒木香のゲスト出演会を劇中再現も嬉しかったです。
いつもROM専で拝見しています。
ここでしか書けないと思いとにかく書き込みました。
特集ありがとうございました。
ぜんじろうさん曰く、上岡龍太郎さんはテントさんが亡くなったことでうつ病を患っていたそうです…
月曜のポップ対歌謡曲があるのに、
いいとものテレフォンショッキングに出たとき、大阪を裏切ったなあ!と嘆いた事ありました
ありがとうございます。
鶴瓶さんからさんまへ、そして紳助へと連絡が行き渡るところに、繋がりの深さを感じる。
やっぱり上岡さん、凄い人やなぁ。
『病院なんか行ったら死ぬやないか。考えてみ、日本人のほとんどが病院で死んどる』
語り口はまさに立板に水、淀みのない口調で言葉の端々に知性を感じさせながら、時々屁理屈を言っては、巧みな話術で相手を煙に巻いてしまう。
上岡龍太郎さんも不世出のタレントでした。心よりお悔やみ申し上げます。
私が上岡さんを初めてテレビで見たのはKBS京都テレビで放送されていたタイガース・フィーバーという番組でした。
『芸は一流・人気は二流・ギャラは三流、私が阪神タイガースのオーナー上岡龍太郎です』
から始まる番組は、大阪生まれの大阪育ち、生粋の阪神ファンだった私を熱狂させました。(ちなみにその後高校生になるまで上岡さんは本当に阪神球団のオーナーだと思い込んでおりました)。
ショートを守る名手平田の横っ飛びのファインプレーを、”カックラキン”のように早送りで巻き直して繰り返し再生しては『何回見てもとっています!』と実況したのには腹を抱えて笑いました。
引退前のさんまのまんまも面白かったし、パペポの最終回は最高でしたね。
香川登枝緖さんがパペポTVのことを「陰中の陽の上岡」と「陽中の陰の鶴瓶」の絶妙な組み合わせと評価してましたね。
もともと2人で番組を立ち上げることになったはいいが、番組企画が決まらず、激突夜話と称して四夜連続平日深夜オンエアの実験的トークで2人に新番組企画を決めてもらおうとしたところ、あーでもない こーでもないと話していたら、このままこんな風にあーでもない こーでもないと話してる番組でええんちゃうかということになりパペポTVが誕生しました。
私が高校生になったばかりの頃にパペポTVが始まりました。それまでもノックは無用で拝見させて貰ってましたが、パペポTVでの上岡龍太郎さんは凄い毒々しいが華やかで清々しく面白くて衝撃を受けました。
それからは毎週火曜日2時10分が待ち遠しくなり、水曜日の朝は遅刻ばかりしていたのが今でも鮮明に思い出されます。
ツキイチダウンタウンでのバベボTVには興奮がMAXになりましたね。
今のTV番組と違い来週の予告等一切ないので、放送が始まる直前までワクワクが止まりませんでしたね。
私の青春時代に唯一無二の上岡節で毒々しいが華やかで清々しく素晴らしい笑いを届けてくれた上岡龍太郎さんの魂に安寧を。
合掌
芸人さんで一番好きだったのが上岡龍太郎さん。パペポ以上に笑った番組には未だ出会えず。そのうちテレビ自体観なくなった。上岡さんは唯一無二でした。
東京に住んでいると関西のTV番組が見られないことが多くて、今回この上岡龍太郎さんの番組もやはり見たことがないのです。だからさんちゃんファンとしては数々の番組を知らなくて、なんで関東でもやらなかったんだ…とガッカリなんてもんじゃありません。芸能界を引退していたとしても、残念なお人が亡くなられたと思います。
14:15 上岡さんの奥さんは横山パンチ時代からのファンで、上岡さん21才・奥さん14才で知り合ったそうです。
ある時二人でテレビを見ていると、ある年老いた俳優が出ていて、「この人、昔は格好よかったのに…僕にもその時が来たら言うてや」と上岡さんが言うと、奥さんは「今!」と即答して引退を決意したと話してました。