中田カウス・中田ボタン
「中田カウス・ボタン」の漫才をお楽しみください。
#残しておきたい昭和の演芸 #漫才 #カウスボタン
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残しておきたい昭和の演芸をたくさん投稿していきますのでチェックしてね
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中田 カウス(1949年6月29日)本名:野間勝道。
伯方島で代々菓子店を営む家の長男に生まれる。郷里に来た旅芸人が行う漫才を見て漫才師に憧れ、中学卒業後、大阪市内の織物会社に入社するも退職。横山エンタツに弟子入りを志願するも「引退している」という理由で断られ、暁伸のもとを訪ねたところ、音楽ショウのあひる艦隊を紹介され、ボーヤとなる。その後、上方柳次・柳太への入門が叶うも、相方候補が廃業したためにデビューを一時断念し、大阪市内のバーでバーテンダーとして働いた。そのバーに中田ダイマル・ラケットのダイマルが来店。カウスが入門を直訴したところ、門下の中田チャックを紹介され、アップへの入門によって再び芸界入りを果たした。
2002年から2010年までM-1グランプリ決勝戦の審査員を務めていた。
中田 ボタン( 1948年4月12日)本名:藤長明。
中田アップに入門後、同門のカウスとコンビ結成。若手時代は精悍な顔つきで、アイドルタレント並みの人気があった。
私生活上で主に借金や逮捕を原因とした様々な伝説を形成し、その多くがのちの漫才ネタの元となっている。
2019年3月、体調不良のため休養を発表。
ボタンはカウスの働いていたバーの常連客で、やがて親しくなり、カウスの誘いでコンビ結成。
結成当初は遊園地やストリップ劇場などで漫才を披露。揃いの背広を着ることが定番だった時代に、はじめてジーンズとトレーナーを着用し、また長髪で漫才を演じた。奇をてらうためでなく、経済的事情からの苦肉の策であり、諸先輩から叱責されるなどしたが、このスタイルと、女子高生などの若者層をターゲットにしたネタ作りによってアイドル並みの人気を博した。「追っかけ」が発生した漫才師の第一号とされている。
その後、カウスの結婚を機にアイドル的人気が急落したことから、ネタをじっくりと聞かせる本格的なしゃべくり漫才へと転身した。
2014年、コンビ揃って「上方漫才協会」の会長(カウス)・副会長(ボタン)に就任。よしもと漫才劇場を拠点とする若手の指導役となった。
カウスがひょうひょうとした語り口でボタンに毒舌を吐くのが特徴。ボタンの私生活や過去を引き合いに出してカウスがおちょくり(「嫁さん」と「奥さん」が一人ずついる、など)、ボタンはそれに対してノリツッコミを行う。
カウスが投機で成功した時期があり、その頃は「金持ちで真っ当なカウス」対「貧乏で悪人のボタン」というパターンでネタを進行していた。ボタンが不祥事のため謹慎処分になった際は、借金漬けのボタンを裕福なカウスが笑う、というパターンが生まれた。
カウスはかなりの汗っかきで、漫才中はずっと折り畳んだハンカチを手に握り、時折そのハンカチで汗を拭う。
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カウス先生、大好き🐱