殿×殿 遂に実現!毛利家当主対談!

殿×殿 遂に実現!毛利家当主対談!



清末毛利家と徳山毛利家のスペシャル対談が実現しました!

日本の歴史が動くとき、そこに毛利あり。

鎌倉政権樹立
天下分け目の関ヶ原
明治維新 etc…

毛利家は日本の歴史の大きなターニングポイントに深く関与してきた大名家です。

このチャンネルでは、徳山毛利家第14代当主の毛利就慶氏が、当事者ならではの裏話や秘話も織り交ぜながら、日本史への興味を掻き立てるような動画をお届けします。

大名家の当主が現代日本においてどのように暮らし、何を思うのか、等身大でありのままの姿でお伝えしてまいります。

「こんな話を聞きたい」というようなご意見ご要望は、ぜひ各動画のコメント欄にお寄せください。

毛利就慶氏への講演依頼も承ります。

なお、毛利就慶氏は歴史家ではなく、毛利家に伝わる言い伝えや独学の情報を基にお話ししていますので、動画で話す内容の真偽を保証するものではございません。
ご理解の上、楽しくご覧いただけますと幸いです。

当チャンネルを通じて歴史を学ぶことで、日本に関心を持ち、ひいては日本やその先人たちを誇らしく思う、そんな方が1人でも増えれば望外の喜びです。

このチャンネルは小説家の中川秀彦氏のご支援、視聴者様からの投げ銭、Google広告掲載料によって運営されています。応援のほど、よろしくお願いいたします。

『神に選ばれた男 児玉源太郎』中川 秀彦 (著)
この小説の主人公、児玉源太郎大将は、毛利家歴史チャンネルの語り手、毛利就慶氏が当主である徳山藩の武士でした。
ウイルスの概念もない明治末期に「検疫の大切さ」を理解していた軍人がいた。日露戦争を勝利に導いた名将にして、武力に頼らず台湾を近代化に導いた偉大な政治家でもある児玉源太郎。 その活躍と人生を余すことなく語り尽くす。
https://amzn.to/3aJqNiH

#日本史 #毛利 #山口県 #徳山 #教養 #大名 #末裔 #歴史 #戦国大名 #明治維新 #戦国時代

View Comments (29)
  1. ついに藩主対談ですか!非常に楽しみにしていたので、今日Youtubeを開いて最初に拝見しました。
    支藩主同士ならではのお話を興味深く拝見しました!!引き続き、色々な方との対談を楽しみにしています!!

  2. 貴重な対談を企画して頂き有り難う御座います。ご先祖様も喜んでおられる事でしょうね。また後子孫同士の対談をお願いします。

  3. お久しぶりです。2月、3月の私の鬼門の月が過ぎ、後はゆっくり運気が回復してくれたらなと思っています。その間の動画全部拝見して、「祈り」という言葉が底に流れていると感じました。その間、WBCがあって、栗山監督、采配スタイルが、敬親公に似ているなと思ったり、、。「部下、を信じて任せる」。優勝は、敬親公が、認められた様で嬉しかったです。そして、清末のお殿様、お公家様の様で、蹴鞠が似合いそう❗️高林寺は、名前は、知ってましたが、行ったことはなかったので、今度、行ってみます‼️近いのに、知らない事が多くていつも学ばせていただいてます❣️

  4. 清末藩との対談、大変面白かったです。今調べたら、徳山藩は4万石、清末藩は1万石でした。
    毛利秀元公は関ヶ原での『宰相殿の空弁当』で有名ですね。秀元公が家光と仲が良いのは初耳でした。秀元公の先見性には驚きです。
    清末藩の方々はなんというアカウントでコメントなさっているのですか?気になります。
    次回の長清会の動画は楽しみにしています。

  5. 今回の動画は掛け値なしに面白うございました。清末藩の成立背景を知ることができたことも、私どもにとって大きな収穫でありました。感謝申し上げます。

  6. 清末藩が孫藩とは知りませんでした!
    出萩は辛かったんですね(笑)
    毛利様、清末様と出演されましたが
    ますます大毛利を感じました。

  7. いつも素晴らしい動画を有難うございます!
    前回は宗家、今回、清末藩の殿も出演されたからには次は長府か吉川か…期待してしまいます!
    幕末に輝元公直系の血筋が宗家に戻った事は私も常々、不思議な縁と言いますか、徳山小学校に通っていた徳山縁の者として感慨深く思っていたところです。
    その件について殿からお話しが出たのでとても嬉しい気持ちになりました。

  8. 勘違いすんなよ!毛利が真っ先に売国し!弔賤塵忍者の伊藤博文、大室虎之助らを連れ入れ使わなければ!弔賤から陶磁器の技工など連れて来なければ!こんな戦争ばかりに巻き込まれる日本にはなっていなかったのだからな!思い上がるな!

  9. 清末出身です
    東京に出てきて30年以上経ちました
    たまに帰郷しますが毛利家とか幕末絡みとか歴史に関する場所を下関だけでなく新たにどんどん訪ねて回ってますよ 
    あと何回帰省できるのかなー

  10. まず立派な山門に驚きました!さすが毛利家、支藩に至るまでご先祖様を大事にされる姿勢に感銘しております。私は中学時代から歴史ファンで、一番好きだった毛利家のご子孫の方々のお姿を拝見出来てとても嬉しいです。何より、血筋が続いている事が素晴らしい!! しかも輝元公と秀元公の血筋がしっかりと残っているところが!! 色々と確執があった事は事実ですが、私は輝元公も秀元公も大好きなんですよね~!輝元公、暗愚と言われつつ、家老衆に凄く大切にされ、歴史の表舞台に何度も出ていらっしゃる、何とも言えない魅力があるんです…!萩藩の基礎をお創りになったのも輝元公ですし、謎に評価が高い所も魅力的w 秀元公は聡明で英雄気質、西の伊達政宗の趣がありますよね~!!うーん、どっちも魅力的!!w 先日、吉香公園にて、お花見と錦帯橋散策致しました。こちらもご立派な公園。堪能致しました。毛利家最高です!!

  11. 清末藩の成り立ち知りませんでした。出身地山口県の色々な文化や歴史を共有できるこのチャンネルはとても貴重です。「知」は高き(知る者)から低き(知らない者)にしか流れないので。

  12. 広島毛利藩 徳山のまちづくり は 初代藩主 毛利就隆に 始まります その遺伝子 徳山毛利家 が こうして 令和の時代にも 脈々と 続いていることは 城下町 徳山の 未来トークが 可能ということですね🌹✨ 令和5年 5月 25日 就任 周南市長 前島おさむ が 現実になるよう 周南市長選挙 全力で 頑張って参ります❗ 御指導の程 何卒 宜しくお願い申し上げます🎵

  13. 伊藤です。清末藩と、聞くと、赤穂浪士と?、所縁が、在りますね。
    自分は、愛知県に、住んでます。
    尾張藩2代目藩主光友公の奥方様は、赤穂藩姫様だと言います。

  14. 毛利秀元公は、宰相殿の空弁当と揶揄されますが、豊臣秀吉や徳川家光に気に入られて、片や慶長の役で総大将を任せられ、片や御伽衆となったりと、重きをなした名将だったっんだろうなと思います。
    最近、立花宗茂の晩年を描いた「尚、赫々たれ」(羽鳥好之著)を読みましたが、立花宗茂の同朋・盟友として秀元公が登場し、戦国の生き残り組の中でも優れた人物であったのだな、と思いました。

  15. 清末の歴代の藩主の方々も同じ血族である徳山のお殿様がお墓参りに来られてお喜びになられてると思いますよ。

  16. 清末藩に関しては情報が少なかったので、今回の対談は中々興味深かったです。😊

    自分が知っていたのは、三代政苗公の頃から財政が悪化し、四代匡邦公は藩校を建てて様々な改革をしたけども、

    やっぱり最後まで財政悪化で苦しんだというイメージですね。😰

    高林寺の歴史は存じないのですが、もし清末藩からの援助で立派な寺になったのであればそれはそれでいいんだけども、

    清末藩に財政悪化とそれに伴う内部対立をもたらしたとしたら、なんか皮肉な気もします。😱

    江戸定府でなく、ちゃんと参勤交代もしたのであれば、徳山以上に石高が少ない上に江戸までの距離が長いので、

    (あと出萩もあるし😭)徳山以上に藩の維持が大変だったんだろうなあ・・・と思いながら見ていました。

    他の毛利一族と違い、他家からの養子が多いのも、養子が持ってくる持参金目当てなんだろうかとゲスの勘繰りを

    してしまうのは自分の悪癖です。😎実態はどうなのかわかりませんが・・・

    清末のご当主様、東京からありがとうございました。😊

  17. 清末 徳山ともに墓所を維持していくのは大変なことだと拝見しました。そんな事を考えていたらその夜お二人と墓所に出来た蜂の巣を退治する夢をみました。光栄です。🙇 ちなみに我が家の墓所はお寺と東海道線をはさんだ中腹にあり100段近い階段を登らなければならず体力とADLが落ちたら行けない墓所です。こちらも考えなければ…😔

  18. 長府新田藩という名前の方が私には分かりやすいです☺️
    清末藩は徳山公には鬼門だったと思いますが…仲良くなられて良かったです😅
    京都・妙心寺塔頭に蟠桃院は前田(玄以)が創設した寺で菩提寺ですが何故か京における伊達家の菩提寺になっており、玄以の位牌と伊達家の位牌および仙台藩士の位牌がずら~っと並んでおり..高林寺の撮影を見て..その時のことを思い出しました☺️
    蟠桃院は前田玄以創設とはいえ、改易以来菩提寺が代わっていますので..仙台藩士の末裔がよくお詣りに来るらしいのですが玄以の末裔が来たのは初めて..ということで物珍しいと..じろじろ見られたのを思い出します😂😂😂
    因みに蟠桃院は忠臣蔵の大石内蔵助にご縁のある寺として有名です😅

  19. 毛利殿、長門国清末藩には、最後の第8代藩主の毛利 元純(もうり もとずみ)公は、豊後日出藩の木下家から御養子に来られたのですが、豊後日出藩の木下家は、「豊臣恩顧」の大名の豊臣国松公が藩祖になってます。

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