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松本清張原作の映画「砂の器」ですが、小説には掛かれていなかった10分間が名シーン(泣ける)でとして幾度も思い起こされます。
『砂の器』(すなのうつわ)は、松本清張の長編推理小説。1960年5月17日から1961年4月20日にかけて『読売新聞』夕刊に連載され(全337回。連載時の挿絵は朝倉摂)、同年7月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行された。
東京都内、大田区蒲田駅の操車場で起きた、ある殺人事件を発端に、刑事の捜査と犯罪者の動静を描く長編小説。清張作品の中でも特に著名な一つ。ハンセン氏病を物語の背景としたことでも知られ、大きな話題を呼んだ。ミステリーとしては、方言周圏論に基く(東北訛りと「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなる)設定が重要な鍵となっている。
1974年に松竹で映画化、またTBS系列で2回[注 1]、5月12日の早朝、国電蒲田操車場内で、男の殺害死体が発見された。前日の深夜、蒲田駅近くのトリスバーで、被害者と連れの客が話しこんでいたことが判明するが、被害者のほうは東北訛りのズーズー弁で話し、また二人はしきりと「カメダ」の名前を話題にしていたという。当初「カメダ」の手がかりは掴めなかったが、ベテラン刑事の今西栄太郎は、秋田県に「羽後亀田」の駅名があることに気づく。
付近に不審な男がうろついていたとの情報も得て、今西は若手刑事の吉村と共に周辺の調査に赴く。調査の結果は芳しいものではなかったが、帰途につこうとする二人は、近年話題の若手文化人集団「ヌーボー・グループ」のメンバーが、駅で人々に囲まれているのを目にする。「ヌーボー・グループ」はあらゆる既成の権威を否定し、マスコミの寵児となっていたが、メンバーの中心的存在の評論家・関川重雄の私生活には暗い影が射していた。他方、ミュジーク・コンクレート等の前衛音楽を手がける音楽家・和賀英良は、アメリカでその才能を認められ名声を高めることを構想していた。
殺人事件の捜査は行き詰まっていたが、養子の申し出から、被害者の氏名が「三木謙一」であることが判明する。養子の三木彰吉は岡山県在住であり、三木謙一が東北弁を使うはずがないと述べたため、今西は困惑するが、専門家の示唆を受け、実は島根県出雲地方は東北地方と似た方言を使用する地域であること(雲伯方言、出雲方言)を知り、島根県の地図から「亀嵩」の駅名を発見する。今西は亀嵩近辺に足を運び、被害者の過去から犯人像を掴もうとするが、被害者が好人物であったことを知るばかりで、有力な手がかりは得られないように思われた。フジテレビ系列で3回、テレビ朝日系列で2回の7度テレビドラマ化され、その都度評判となった。
松本清張原作の映画「砂の器」ですが、小説には掛かれていなかった10分間が名シーン(泣ける)でとして幾度も思い起こされます。
『砂の器』(すなのうつわ)は、松本清張の長編推理小説。1960年5月17日から1961年4月20日にかけて『読売新聞』夕刊に連載され(全337回。連載時の挿絵は朝倉摂)、同年7月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行された。
東京都内、大田区蒲田駅の操車場で起きた、ある殺人事件を発端に、刑事の捜査と犯罪者の動静を描く長編小説。清張作品の中でも特に著名な一つ。ハンセン氏病を物語の背景としたことでも知られ、大きな話題を呼んだ。ミステリーとしては、方言周圏論に基く(東北訛りと「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなる)設定が重要な鍵となっている。
1974年に松竹で映画化、またTBS系列で2回[注 1]、5月12日の早朝、国電蒲田操車場内で、男の殺害死体が発見された。前日の深夜、蒲田駅近くのトリスバーで、被害者と連れの客が話しこんでいたことが判明するが、被害者のほうは東北訛りのズーズー弁で話し、また二人はしきりと「カメダ」の名前を話題にしていたという。当初「カメダ」の手がかりは掴めなかったが、ベテラン刑事の今西栄太郎は、秋田県に「羽後亀田」の駅名があることに気づく。
付近に不審な男がうろついていたとの情報も得て、今西は若手刑事の吉村と共に周辺の調査に赴く。調査の結果は芳しいものではなかったが、帰途につこうとする二人は、近年話題の若手文化人集団「ヌーボー・グループ」のメンバーが、駅で人々に囲まれているのを目にする。「ヌーボー・グループ」はあらゆる既成の権威を否定し、マスコミの寵児となっていたが、メンバーの中心的存在の評論家・関川重雄の私生活には暗い影が射していた。他方、ミュジーク・コンクレート等の前衛音楽を手がける音楽家・和賀英良は、アメリカでその才能を認められ名声を高めることを構想していた。
殺人事件の捜査は行き詰まっていたが、養子の申し出から、被害者の氏名が「三木謙一」であることが判明する。養子の三木彰吉は岡山県在住であり、三木謙一が東北弁を使うはずがないと述べたため、今西は困惑するが、専門家の示唆を受け、実は島根県出雲地方は東北地方と似た方言を使用する地域であること(雲伯方言、出雲方言)を知り、島根県の地図から「亀嵩」の駅名を発見する。今西は亀嵩近辺に足を運び、被害者の過去から犯人像を掴もうとするが、被害者が好人物であったことを知るばかりで、有力な手がかりは得られないように思われた。フジテレビ系列で3回、テレビ朝日系列で2回の7度テレビドラマ化され、その都度評判となった。
48 comments
橋本忍さんの脚本・野村芳太郎さん監督・芥川也寸志さん音楽監督。傑作です。何度見ても涙が止まらない。加藤嘉さん、凄い演技。美しい映像。また見たくなりました。ありがとうございます。
全く面白くない駄作
これは映画史上稀に見る原作を超えた名シーンだと思います。当時不治の病と言われ、また、宿業と忌み嫌われた病に侵された父とその息子が放浪するこのシーンは涙なしに観ることはできません。その中で親子の絆や日本の四季の風景美が描かれていることも特筆すべきものです。また、バックに流れるピアノと管弦楽のための組曲「宿命」がこの親子の過酷な運命をより一層引き立たせています。まさに日本映画における金字塔の作品でしょう。
日本映画の金字塔の一つだと思います。最高のキャストと芥川 也寸志の音楽が本作品を原作の最も大事なテーマを最大限に引き出していると考えます。小説のあえてどろどろした人間描写を避け、主題に集中したことが良かったと思います。アニメの映像化かCGを使ったゴジラくらいしかない現在の日本映画のレベルの低さを思い知らされます。後に作られた陳腐なテレビドラマ版は最重要なテーマであるハンセン病に対する偏見と差別を無視することで原作を完全破壊してしまいましたし、役者が下手過ぎます。
死ぬまでにもう一度
映画館のスクリーンで
この映画を見たい。
長いこと待っていました。 父子の過酷な放浪の場面は秀逸です。 一幅の名画を見るようです。 それに石を投げる人々も、唯一憐れみで接する警察官もそれぞれの性格はわれわれが等しく持っているものと私は思う。 願わくは内なる良いものが溢れて周りを支えていけるようにと。。。。 動画配信 ありがとうございます。 海外より
まぁ、さのう。
人が変わるとね、人それぞれ、あのう変わるじゃありませんか。
一家でもですね、親父から長男に財布が移るとね
町工場の経営方針だって変わるじゃありませんか。
わたくしは、あのう国民の皆様に具体的な青写真を明示したいと思います。
それにはね財源対策とスケジュールとね
ちょっとあのう明示いたします。
ネージリーくも付けます。
日本列島改造ということをするとね
物価問題も解決の方向に向かうし
都心問題も、交通問題も、公害問題も
みんな片付く。
田中角栄。
昭和の良い時代ですね。
この映画は、、、胸が締め付けられる、、、今の映画界には無理なのかなぁ、、このような名作を撮るのは。原作を書ける人も居ないのだろう。
今ふと思いましたが、この様な映画は差別的な表現があり今の風潮では民報で放送されなかったりするのでしょうか。
中1の時ひとりで映画館に行って見てきました、今でもあの時の思いが忘れません、涙がポロポロ多感な時の自分、、、あれから50年またもう一度見てみたいです、あの時とはちがった感覚があるでしょうね
美しい撮影
この映画はテレビでは二度と放送されないんですよね。
真面目に生きていたのに、
もう一度DVD見たいTSUTAYAには置いてあるかな🤔
自分は親子の情を
あまり欲してはいない
と思って生きて来たけど
このシーンを見ると
欲していないのではなく
与えてもらえなかった
又は
愚かにもそれに気付かず
生きて来てしまったのかも
しれない
それ故にこのシーンは
自分の根っこにある欲求や
魂の存在を自覚出来る
そして心が震える
これは本当切ない話…
このシーンは何度見ても泣けますねえ… 加藤嘉と子役の演技と厳しい自然が主役のシーンでした。このシーンある限り、以降のどんなリメイクもこれを超えられないと思う。
今見ると緒方拳が若い!
原作者のすべてが、表現されていると思います。松本清張も感動されたと、おもいます。
緒形拳の存在自体を、この映画で初めて知った。
丹波哲郎が主演をとれる俳優であることも、この映画で初めて知った。
島田陽子が映画でも通用する女優であることも、この映画で初めて知った。
森田健作、単なる青春スターでなかったことも、この映画で初めて知った。
渥美清が脇役にまわることがあることも、この映画で初めて知った。
松本清張本人が絶賛したという逸話もあるが、さもありなん、恐るべし砂の器
この映像、回想の部分は涙を誘う名作でした。
浜村純が台詞の無い
チョイ役だもの
贅沢な配役陣です
差別された事がない人には差別と言う言葉の意味はわからない。
昭和40年代になっても家の玄関先に瞽女さん、虚無僧、物乞いの若い女性らが来ていた。それぞれ1回ずつだったと思うが私ははっきり記憶している。
昔は今より差別や偏見が強かったけれども、同時に差別される人や貧しい人への共感も大きかった。この作品はある意味で日本人の原点。どんなに豊かになってもこれ見て魂が震えるような国民でありたいね。
映画フィルムといえばコダック、写真と言えばコダクロームの時代に
日本の四季を写すにふさわしいフィルムはフジカラーしかないことを実感させた。
欧米の景色を最上のものとする認識から日本の風景の美しさに目覚めさせてくれた。
日本映画として始めて「映画音楽」を主役の一員とした。
そして、島田陽子が美しかった。
60年生きてきた中で、もっとも心に刺さった映画!
このお遍路さんのシーンは今でも鮮明に覚えています。
日本映画史の傑作といって間違いないです。
ちょうど、タイムリーに制作側が原作を大事にしない問題がクローズアップされていますが、橋本忍クラスの脚本家になると
原作者をもうならせてしまう。
白川郷と日本海の住民は
冷たかった…?
色んな人が演じましたね名作です
小学生の時音楽の先生がOSTを授業で聞かせてくれてこの作品を知りました。原作も読み映画も観ました。時代とはいえ偏見と無知は本当に恐ろしいものだと、改めて思います。風景の美しさも残酷な現実の合せ鏡のようで、なんとも悲しい気持ちになりますね……久しぶりに映画見直そうと思いました。
道徳の見本とも言える映画ですね!!
この映画は泣けるよね😢
(あっちでシクシク、こっちでシクシク)
親子の別れのシーンやらい病療養所での刑事とらい病患者との対面シーンなど…
知ってた・・・・・・・でも今も泣いた
子供の頃観て親子が村を追い出されるシーンがとても怖かったのが忘れられません。村社会の冷たさ、人間とはかくも残酷なものかと子供心に震撼としました。単なる推理小説の枠に収まらず社会派ドラマですね。
私は再度観るのはムリかなぁ。あまりに胸が締め付けられて耐えられない😢
昭和49年の映画でしたか?当時話題となったのが、画面と音楽の一体化?でしたか。加藤嘉さんが嗚咽するシーンがありますが、その迫力に驚きました。役者なんだなと感心した映画です。多分大学3年生で、生涯で1度だけ結婚を約束した彼女と見た映画です。結婚は、できませんでしたが
松本氏のご遺族の意向とか。私も詳しくは知りませんが。
この場面だけでなく、原作からの改変があちこちに見られるが、松本清張は 「原作以上だ」 と鷹揚なものだった。映像化を許可した時点で、原作と似ても似つかぬものになることを、作家は覚悟したほうがいい。近年の作家たちは神経質すぎる。村上春樹は 「ノルウェイの森」 の映像化に際して厳しい注文をつけたらしい。その結果、映画はヴェトナムの俊英トラン・アン・ユン監督の黒歴史になった。
VHSテープ買いました。
私の宝物です。
この作品がきっかけでハンセン病を知り、子どもとハンセン病療養所の見学をさせていただきました。子どもなりに考えを深めていってくれたようです。
Por qué es tan triste??
いじめ同様に
差別を知らない、
認識しないで差別するから
悲しい。
理解してて差別していたら
なお悲しい。
これだけで号泣
20代女性ですが,松本清張の,点と線を古本屋さんで買い,それからハマッテ,色々読むあさって,名作は
ほとんど読みました,読書
は,大好き過ぎです,砂の器もその一つですね🍀
涙
美しい
映画館でリアルタイムで見ました。このシーンでは、お客さんの鼻をすする音が聞こえました。50年も前になりますか。このシーンのあとに、映画館の主人の役で渥美清さんが出たら、お客さんが笑いました。渥美さんが出ただけなのに!覚えています。😊
子供の頃、テレビで見て恥ずかしなら初めて癩病と言う物を知りました。
この映画が無ければ民俗学との出会いも無く、柳田國男も網野善彦も知らず被差別民への興味も起こらなかった。興味本位で始まった事だがこの映画が無ければ心ない差別心で人ならざるものに成り下がる所でした。
10:27 本ではなかなか涙はこぼれませんか映像は何度見ても涙涙です この二人が放浪するシーンは流石のカメラマンならではと感じました!