高橋吾郎は1979年8月20日サウスダコタで三日三晩の洗礼を受け、日本人で初めてスー族に属化した。大自然に闘いを挑み同化する事により、自然の摂理を身体に刻み込み誇りある勇気を取り戻そうとする聖なる儀式である。
帰国後、暴走族排除にホコ天になりロックンローラーや竹の子族で賑わう原宿表参道だったが、長男ケンジも店内でレザーを手掛けてた80年代のgoro’sは低迷期で来店するお客様がいない日々も多かった。そんな頃、191cmある家庭教師の太郎さんに「暇でクーラーある叔父のgoro’sに行ってみなよ」誘われた僕は足を運ぶ事になった。
あの朱色いサビ止めペンキ塗ったショベルを乗る前、16歳で限定解除してた俺様たち地元民は吾郎さんにバイクの乗り方を教えていた。まさか無免許とは知らず原宿交番前で。。。。
吾郎さんはいつもgoro’sの階段を駆け上がり嬉しそうに作り立てのジュエリーを見せ、第一番目の作品を俺様に渡しガラスさえないケースに飾っていた。正月明け初めて1987と刻まれたメタルを手がけ、数年後に端に槌目いれたタタキに変わった。
指2本落とす大火傷をしケンジ君が看病している間、俺様は半月ほどgoro’s店長を勤め事故を聞きつけ集まる地元民の対応をしていた。事故以来、スノーが吠えたお陰で命救われた吾郎さんは、命の恩人をイヌ🐶扱いすると酷く怒る逸話は有名であろう。
滞納した家賃を肩替わりしてもマック竹下通り裏に部屋を用意しても給料は足らず、ケンジ君はgoro’sを去り六本木のバーで働く羽目に。今も哲ちゃんと昔話をすると「ケンジは可哀想だった」と哭けく。
ケンジ君が去り、吾郎さんがスノーを朱色い錆止めショベルに乗せ通う日々がはじまった。まだ俺様がgoro’s行列にさせる前の話である。
@tensaitennkai
https://youtu.be/UGna0eEOHJI
時代遅れ感やば🤪
知ってる?今は令和だよ?昭和の時代はとっくに終わってるよ〜