【近代史特別編】600機に1機で突撃した英雄の終焉の地

【近代史特別編】600機に1機で突撃した英雄の終焉の地



今回は趣味的に第二次世界大戦です。
彼らの最後は武士道に通ずるものがあります。

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当チャンネルは、
普通の心霊スポット巡り、怪異の紹介だけでなく、
史実などに基づいた歴史・民話や民間伝承などの
背景を深掘りご紹介しながら、現地を巡礼していきます。

アンダーグラウンドな異世界を旅行し、
忘れ去られた怪奇な歴史、伝承、妖怪、怪談、史跡、石仏、神社やお寺…
これらの中にある感動や発見、当時の生活や風習、民俗学の中に
あなただけの宝物がきっと見つけられるはずです。

今後とも、街歩きをしながら、
マニアックで不思議な世界を旅していきますので、
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感謝でございます

#ゼロ戦 #大東亜戦争 #特攻隊

View Comments (22)
  1. なかには名も知られず無名のまま外国の地で散っていった無数の御霊もあるなか地元の人に念頃に葬られ、愛機のプロペラを墓標に一緒に弔ってもらってこの方は幸せ

  2. 私の伯父も偵察機に乗って戦士してます。裸眼の視力が良かった為特攻では無かったのですが戦士しています。
    亡き父がずっと気にしていたので記憶して居ます。

  3. 昭和二十年一月二十九日の艦載機来襲を皮切りに行われた通常攻撃・特別攻撃織り交ぜた熾烈な攻防戦。
    傷病か、偶々運が良かったのか本土に帰還できたものの古巣パレンバンからもたらされる戦況報告は文字通り身を切られる思いだったでしょう。
    …陸軍方面航空隊は終戦までジャワ・インドシナ方面の制空権を米英側に奪われることなく護り通しました。
    上原様に於かれましては散華された御戦友の方々の分まで胸を張って終戦の日を迎えられても良かったのではないか、と、戦争を知らぬ凡夫の身でありながら考えてしまいます。詮無き事と重々承知の上で。
    尊敬と感謝の念を込めて黙祷を捧げます。

  4. 昭和天皇は
    「太平洋戦争は、人種差別が原因で起きた戦争だ」といった。
    ある程度は当たっているかもしれない。

    アメリカは日本を
    侵略者、強盗などと罵ったが
    フィリピンなどを植民地にしていたアメリカに言われる筋合いはない。アメリカは今でも人種差別の国。
    太平洋戦争当時はもっと激しい差別思想を持っていた。

    白人は植民地を持ってもいいが
    黄色人種の日本人が植民地を持つのは許さない
    と。

    狡猾な欧米人の前では
    日本人はあまりに幼すぎた。

    欧米中心の帝国主義思想に追従して模倣したが
    まんまと欧米人の策略にはまってしまった。

  5. このような映像をみると私達には
    その若さで可哀想、もっと生きたかったはず、やりたいこともあっただろう
    などと感じたり、思ってしまうが
    彼等は私達がお腹いっぱいご飯を食べれて、お金に困らず、家族と離れることがなく、自由に生きられる時代と社会になることを願い、命を賭けて戦ってくれただけだと思います。彼らの見つめていたのは平和な世の中にすること、自分達のような経験をしないように、それだけだと思います。今の時代を嘆いているとか怒っているなんて言う人もいますが私はこんな時代になったんだなと笑って安心していると思います。虐待、介護放棄、キラキラネーム、パパ活などにはドン引きしてるかもしれませんが
    自分達の役目は果たした。と達観してるのではないかと感じています。

  6. 自分はどちらかと言うと左よりだと思うのですが、この動画を観て気づかされることがありました。
    自分が今生きているこの国はこの国を守ろうとした勇敢な若者たちの意思と命によって存続しているのだと。左も右も関係なく、こうした若者がいたことを忘れてはならないと思いました。そして日本のさらなる発展を願います。
    英霊に安らかなる眠りを。合掌

  7. 退路絶っての首都大空襲
    広島長崎
    戦後の友達、万歳風潮
    そして現在も続く言いなり
    もう、いろいろと判明してますよね

  8. あの戦争はマッカーサー元帥も戦後日本の自存自衛の戦いだったと証言してます。米軍は死んだ日本兵の鼻や耳を切り落とし帰還した部隊。病院船を攻撃。民間人を大量虐殺したのは事実。

  9. ぜひ機会があればシドニー郊外にあるカウラに行ってみてください。
    カウラ事件で亡くなった英霊達の眠るお墓があり今でも地元の方達によって整備していただいています。

  10. 二宮出身ですが恥ずかしながらこの動画を見るまで全く知らなかったです。ありがとうございます!

  11. GWに二宮の実家に帰って銃痕を見てきました。今度はプロペラを見に行きます!次回の動画も楽しみにしております🙇

  12. 知りませんでした。
    死ぬまでに行く場所がまた一つ増えました。
    動画配信、ありがとうございます。
    そしてプロペラを回収してくださった方達、ありがとうございます😭

  13. 友人の御婆さんから、「米軍は、農作業している一般人を平気で機銃掃射した。」と聞いたことがあります。
    ご本人も当時小学生の頃にあぜ道を歩いていただけで機銃掃射されたそうです。
    その時代背景を考慮すると一般人が攻撃されることもあるかと思いますが、この話を聞いた際には仕方なさに無力感を感じました。

  14. やらなければやられる
    日本はローマに滅ぼされたカルタゴとよく比較されますがもし抵抗しないでやられてたら土地に塩撒かれて滅ぼされてもおかしく無かったですね
    時代が時代だから滅ぶまでは行かないけど

  15. その通りアメリカ機は一般人を平気で打っていたんだよ。農家のおじいちゃんの家で寛いでいた時、居間に銃弾が有ったので話を聞いたら、十代の時、農作業の手伝いをしていたら上から打ってきたそうだ、藁の山の中に逃げて助かったそう。彼らはその他、日本兵の首を煮込んで頭蓋骨にし郷里の彼女にプレゼントで送る事が普通に行われていた。これらは戦時中でも犯罪であると思う。

  16. 上原重雄中佐の事はこの動画ではじめて知りました。碑文を読むと涙が出ます。
    祖母がまだ赤ちゃんだった父を背負って畑を耕してた時、米軍機が飛んできてパイロットと目があったそうです。「撃たれる!」と身をすくめたけどパイロットは機銃掃射ボタンを押すことなくそのまま飛んで行ったの、と今は亡き祖母がした体験を父が話してくれました。
    カーチス・ルメイなど米国空軍首脳部は「空襲しても弾が残ってたら機体が重いから弾は(一般人でも撃って)捨てていけ」と命令してたとか。
    だから米軍は面白半分で民間人を銃撃していたのでしょう。
    祖母と目が合ったあのパイロットは赤ん坊を背負った若い母親を撃つのは忍びなかったのか弾切れだったのか…今となってはわかりません。
    私が生まれて美味しいご飯を食べられてうp主さんの動画やアニメを見れて推しアーティストのコンサートに行けるのも全ては命を賭して日本を守ってくれた英霊たちのおかげです。
    今回の動画で改めて思いました。
    また近代史も取り上げてください。よろしくお願いします。

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