今から28年前に、40歳でこの世を去った俳優、松田優作。
彼には、横浜という街が似合っていました。
横浜が舞台の連続ドラマ『俺たちの勲章』。
黒い皮ジャン、黒い皮パンに身を包み、サングラスをかけて埠頭を歩く姿は、今も鮮烈に印象に残っています。
セリフがなくとも、そこに立っているだけで圧倒的な存在感を醸し出していました。
主演した映画、その名も『ヨコハマBJブルース』。
松田優作扮するBJは、横浜の場末のバーで歌うブルースシンガー、そして私立探偵でした。
黒のロングコートにグレーのマフラーを巻いたファッションも、多くのファンに真似されました。
この映画の原案は、松田優作本人。
横浜に思い入れがあったのでしょうか。
彼が生まれ育った街もまた、港町でした。
山口県下関市。
しかし、18歳で街を出てから、松田優作は二度と下関に暮らすことはありませんでした。
彼にとって、あまりいい思い出がなかった街でしたが、一軒だけ、日活の映画館がありました。
時は、日活アクション映画の全盛期。
石原裕次郎、小林旭、宍戸錠。
幼い優作にとって、スクリーンの世界に我が身をゆだねる時間だけが、生き生きと輝くひとときだったのかもしれません。
彼が幼少期を過ごしたころは、下関にまだ遊郭がありました。
下関の港にやってくる漁船の漁師を相手に、街に娼婦が立っていました。
彼は幼心にいつも、こう思っていたと言います。
「ここは、俺のいる場所ではない」。
父親の顔を知らないということ、国籍が日本ではないということ、そうした環境も、彼を孤独に追い詰めていきました。
自分の居場所を探す旅は、終生、続いたのでしょう。
でも彼は、ただ探すだけではなく、自分の存在を強く光らせることに、文字通り、命を賭けました。
壮絶な人生を歩んだ俳優、松田優作が、格闘の末につかんだ明日へのyes!とは?