階段の花
作 吉本直紀
2025年 ビデオインスタレーション+写真
江田正盛・吉本直紀・三ツ山一志 三人展「気ままな好奇心」
ぎゃるりじん&Chiyo’s
使用映像「風の中の牝雞」(1948年)
*パブリックドメイン映画
監督 小津安二郎
脚本 斎藤良輔
小津安二郎
製作 久保光三
出演者 田中絹代
佐野周二
村田知英子
笠智衆
坂本武
音楽 伊藤宣二
撮影 厚田雄春
編集 浜村義康
配給 松竹
キャプション
作品『階段の花』によせて
全54本の小津安二郎監督作品のなかで二本、小津本人も認める失敗作と呼ばれるものがある。その一本は「東京暮色」で、もう一本は今回のインスタレーションの題材である「風の中の牝雞」(1948年・松竹 監督 小津安二郎 脚本 斎藤良輔)だ。「風の中の牝雞」は終戦直後の東京・深川近辺が舞台で、当時全国を襲った戦後不況、ハイパーインフレの影響により極度な貧困に圧される女性 時子とその家族の物語である。田中絹代演ずる時子は一人息子・浩を育てながら戦争から帰還する夫・修一を待っている。ある日、浩が大腸カタルに罹り入院を強いられるが、入院費を払えない時子は苦渋の決断で曖昧屋で一晩身を売ってしまう。浩は快復し、退院する。数日後、修一が4年ぶりに帰って来た。だが留守中の話をする時子は堪えられなくなり真実を修一に話してしまう。映画はそのあとの時子と修一の苦悩を描いていく・・。やがて終盤に差し掛かるころ、二人は激しい問答の末、修一ははずみで時子を階段から落としてしまう・・。
この映画を始めて見た当時20代だった僕は、題材はたしかに暗い収拾のつかないテーマだが、決して悪い作品には見えなかった。調べると小津自身が「僕の扱うテーマではなかったね」と、こぼしていたという。曖昧屋に一晩身を売る女性が階段から落ちるなど、通常の小津映画を考えればありえない展開である。だが、そういう困難な題材に取り組む若気の小津の作家精神に魅かれ、その後の僕のシネアスト心に残る作品となった。記録によれば、小津さんは階段落ちのシーンを何度も何度もムビオラで見直して確認したといわれている・・。映画にとって横長の物体は生理に沿うが、縦長の物体は若干相性が悪い。この階段=縦長問題は黒沢(七人の侍の幟)、ヒッチコック(サイコの階段)はじめ、多くの映画監督に圧し掛かる画面と被写体との悩める宿命といえるのかもしれない・・。
時は流れ、横浜は大岡川流る黄金町に流れ着いたジリ貧の映像作家の僕にとって、日々彼の土地に残る風俗史を想う時、「風の中の牝雞」の時子の境遇が自然と脳裏に浮かび上がるのだった。ただの映画好きのロマンと言ったらおそらくそうだろう。が、どうにもならない境遇を背負い振り返らず一段一段乗り越えていく時子、そして夫・修一。ほかにもいただろう時子のような女性たち。戦後や昭和という時代・・。そんなことを思いながら黄金町の街中を歩いているうちに、ふと彼らを謳歌する花、そして階段のイメージが僕の脳裏のなかで浮かび、やがて自然と手を取り合い融合していった。
吉本直紀