@落語 #大河 #えなりかずき#みちょぱ「えなりかず鬼」「夏休み批判騒動記」
「えなりかず鬼」
えー、どうもどうも。
世の中にはね、イメージってもんがございます。人間、イメージを背負って生きる。いい人キャラだとか、真面目キャラだとか。ところが、それが行き過ぎると人間てのは苦しくなる。
たとえば芸能界でございますよ。長年「いい人」で通してきた人が、ある日を境に「悪役」に転じる。これがまぁ盛り上がる。先日もそうですよ、えなりかずきがNHK大河ドラマ「べらぼう」で“えなりかず鬼”って呼ばれてんだ。お客さん、見ましたか?あれ。
えなりかずきっていったら「渡る世間は鬼ばかり」の小島眞。おふくろの泉ピン子に怒鳴られ、周りの大人に翻弄され、視聴者からは「あぁ、いい息子だねぇ」と。世間的には「好青年の象徴」。ところが、大河じゃ全然ちがう。松前藩の殿様でな、宴会で家臣の嫁を木に縛って的に鉄砲撃っちまう。あんなの、“いい息子”どころか“鬼畜殿様”だ。だからSNSで「えなりかず鬼」ってあだ名がついちまった。
――でね、考えたんです。人間ってのは、どこかで“鬼”の部分を持ってる。普段は押し殺してるけど、どっかで出ちゃう。それを役で表すと大ウケする。つまり、人間の本質を芝居が引きずり出すんだ。
いやいや、これがただの笑い話じゃ済まされないんです。世間ってのは残酷でね、えなりが善人やってりゃ「つまらない」、鬼やれば「面白い」って、こっちが勝手に決めつける。結局、役者の人生なんて視聴者のストレス解消の道具みたいなもんだ。
で、21日の放送ですよ。出てきたのはほんのワンシーン。蝦夷地の上知が免れて「ありがた山の昆布がらす」ってセリフ言っただけ。これがネットで「怖い笑顔だ」「ありがた山ってなんだ」って大盛り上がり。ワンシーンで話題かっさらう。これが役者冥利に尽きるか、あるいは地獄の始まりか。
だって考えてくださいよ。えなりが今後も“鬼”やらされ続けたらどうなります?朝ドラで「おはようございます」って笑顔見せたら「あ、鬼だ」って言われる。通販番組で「この布団ふかふかです」って言ったら「えなりかず鬼の罠だ」って。もう逃げ場がない。
これがまた、今の世の中の縮図と同じなんですよ。いい人でいりゃ「つまらん」。ちょっとでも悪いとこ見せりゃ「炎上」。アイドルもそう、政治家もそう。昔は「いい人そう」で押し切れたけど、今はネットが拡声器だからね、ちょっと鬼が顔出したら「鬼確定」。いやだねぇ。
でもまぁ、考えようによっちゃ救いもある。人間、善だけじゃ持たない。悪を引き受けて笑いに変える。それが芸だ。談志がいつも言ってた。「落語は人間の業の肯定だ」って。えなりが“鬼”になったことで、我々も自分の中の“鬼”をちょっと笑える。
…でね、私考えましたよ。この“えなりかず鬼”をもっと活かせるんじゃないか。NHKで大河やってる場合じゃない。バラエティで「鬼の司会者えなり」とかどうです?「ありがた山の昆布クイズ!」なんつって、間違えた芸人は鉄砲撃たれる。スポンサーつかないか。
あるいは政治の世界ですよ。「鬼の改革」なんてスローガンで立候補。「渡る世間は鬼ばかり党」。マニフェストは「ありがた山の減税がらす」。投票行く気しません?あ、しないか。
でもね、本気で言うと、こうやって役者が“鬼”や“悪”をやるってのは、視聴者にとっちゃありがたいもんですよ。なぜか?俺たちは日常で鬼になれない。会社じゃ上司にヘコヘコ、家庭じゃ妻にペコペコ。悪さしたくてもできない。だからドラマで代わりにやってもらう。つまり「代理悪」。
えなりかずきが鬼になることで、俺たちはちょっと楽になる。これが芸能の役割。だから「ありがた山の昆布がらす」ってのはね、「ありがたいのは俺たちの方だ」って意味なんですよ。
――ただね、こういう話をまじめにしてると落語じゃなくなるんでオチをつけなきゃいけない。えなりかず鬼、今後どうなるか。最後は「渡る世間は鬼ばかり」と「えなりかず鬼」が合体して、新タイトルがこうなる。
「渡る蝦夷地は鬼ばかり」。
……ありがた山のオチがらす。
おあとがよろしいようで
2幕目
「夏休み批判騒動記」
いやぁねぇ、世の中どんどん便利になってんのに、笑いのほうは窮屈になる一方だってんだから、やってらんねぇ。
このあいだなんざ、「有吉の夏休み」って番組で騒ぎになった。あれだよ、芸人とタレントがわいわいやるだけの長尺のバカ騒ぎ。あれ見て「夏休みを返せ」って言うヤツいねぇだろうな。そりゃあもう、そういうのを見て夏気分味わうんだ。
で、今年は野呂佳代ってお嬢さんが出てきた。そこへ有吉がね、「ちょっと太ったんじゃないの?」なんてツッコむ。昔からあるじゃん、芸人同士のイジリ合いってやつ。だけど今の時代はそうはいかない。「不快だ」「かわいそう」ってネットがざわざわ。ネットってのは不思議なもんでね、声のデカい五人が書くと「国民が怒っている!」に化ける。五人が百万人に化ける、まるで錬金術だ。
で、みちょぱ。あれが受け流したのをまた怒られたってんだ。おいおい、じゃあどうすりゃいいんだよ。笑っちゃいけないのか? 真顔で「それは良くない」って言えと? 夏休みのバラエティで全員が道徳の教科書みたいに座ってたら、怖ぇぞ。プールの水も凍るね。
だけど面白ぇのは、その「批判殺到」って記事だよ。みちょぱ本人が言ってた。「全然コメント来てない」って。たしかにそうだよな。五つか六つコメントあって、そのうち二つは「誰?」だ。で、残りは「太ってるのは事実」って…。これで『批判殺到』。殺到っていうのはな、甲子園の満員御礼だよ。ネットニュースの記者ってのは、言葉のインフレを誰も止めねぇんだ。
で、野呂佳代本人が反省しちゃってるってんだから、こっちが悲しくなる。イジられて笑いが生まれる、それを「悪いこと」とされりゃ、イジられたほうも「自分が悪かったんじゃないか」って思っちまう。あれだね、昭和の子供なら「給食で牛乳吹き出して机びしょびしょ」にしたらクラスが大爆笑。いまなら「不衛生で不快」って言われて先生が謝罪会見だ。
で、みちょぱが最後に「フワ帰って来いよ」って言ったのが最高に人情味あるね。あれで笑いと皮肉と友情がちゃんと同居してる。つまり「イジられる役回り」が必要なんだ。人間社会ってのはな、全員が主役だと成立しねぇ。スターがいりゃ、脇役がいて、スベる奴がいて、そいつを拾う奴がいる。役割があるんだよ。
だけどネットの批判文化は、役割を認めない。「全員が傷つかない」なんて社会はありゃしない。そりゃもう、刃物を全部スポンジに変えるようなもんだ。料理はできねぇ、喧嘩もできねぇ、ただのふわふわ地獄。フワちゃんじゃなくて、社会がふわふわになっちまう。
ところが当事者たちは案外気にしてない。みちょぱも「何回も書かれてるから慣れた」なんて言ってたろ。つまりね、当人たちよりも、見てるこっちが勝手に怒って勝手に被害者を作ってる。怒りの代理人だ。裁判でもないのに「私は野呂佳代の代弁者です」って名乗りを上げる。いや、本人は楽しくやってんだから、あんた帰れって話だ。
そんで最後にみちょぱが言ってた。「忘れないですからね、あのネットニュース書いたヤツ」って。これが一番効いたな。ネットニュースの記者なんて、顔も出さずに「国民の声」とか書いてる。だが、忘れないって言われたら怖ぇよ。夜中トイレ行くときに思い出すだろうな。「あれ?後ろにみちょぱいない?」なんて。ネット記者の背筋をゾクッとさせたら、それだけで芸の勝ちだ。
要はね、笑いってのは「生きてる証」みたいなもんだ。誰かをちょっとイジったり、変なとこを突っ込んだり、そういう不完全さから生まれるんだよ。それを「完全に正しい」形にしようとすりゃ、落語も漫才もバラエティも全部死んじまう。いや、もう半分死んでるかもしれねぇ。
だからこそ言っとく。「夏休みのバラエティに道徳を持ち込むな」。有吉が野呂をイジる、それをみちょぱが笑う、フワがいないからこそ笑う。そういうもんなんだ。そこに「不快だ」とか「かわいそう」って言ってる連中は、いっぺん自分の夏休みの宿題を思い出してみな。読書感想文で「主人公がかわいそうでした」しか書けなかったやつが、大人になっても同じことやってるんだ。
結局のところ、批判記事ってのは「夏休みの宿題忘れたやつの言い訳」だよ。世間を騒がせるほどのもんじゃねぇ。
#落語 #大河 #えなりかずき#みちょぱ「えなりかず鬼」「夏休み批判騒動記」
おはようございます、えなりかず鬼、深いですね❤❤❤
Wow nice sharing like video looks amazing and beautiful video my friend 🎉🎉❤❤❤
とても楽しいお話ありがとうございます💞🥰💞また~どうぞよろしくお願いいたします
🍓🍒🍬🍀♥️🙇♀️♥️
Halow temnku selamat pagi mat beraktiitas salm sukses temnku wah serunyah ❤❤❤❤❤❤❤❤
素晴らしい🥰🥰
ジョン、子供たちのために声を上げたことを称賛するよ❤❤❤👍👍
Like done ✅
今日の動画も素晴らしいですね👍😊
❤❤❤