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第308回は有田哲平のプロレスレーダーチャート【SWS】!1990年5月にプロレス団体として発足し、1992年6月に活動停止した伝説の団体『SWS』。メガネスーパーが豊富な資本を投入し、他団体から選手を引き抜いて旗揚げし、様々な意味でプロレス界に大きな衝撃を与えた…!一体SWSとはどんな団体だったのか!?SWSの2年間を、有田視点でレーダーチャートに落とし込む!
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■この動画で有田さんがお話した大会(出来事)・触れた大会(出来事)
▶1990.5.10 SWS ホテルオークラ「飛鳥の間」
メガネスーパー田中八郎社長、天龍源一郎出席のもと、新会社「株式会社メガネスーパーワールドスポーツ」(略称…SUPER WORLD SPORTS…SWS)の設立を発表。
▶1990.10.18-19 SWS 横浜アリーナ
「闘会始’90」
※SWS旗揚げ戦
▶1990.11.10 SWS 新横浜仮道場
「SWS登竜門マッチ 第1回」
※道場マッチ
▶1991.3.30 SWS & WWF 東京ドーム
「レッスル・フェストin東京ドーム」
(天龍源一郎&ハルク・ホーガン vs ザ・ロード・ウォリアーズ)
▶1991.4.1 SWS 神戸ワールド記念ホール
「レッスル・ドリームin神戸」
(鈴木みのる vs アポロ菅原|不穏試合)
(北尾浩司 vs ジョン・テンタ|八百長発言で物議)
▶1992.6.19 SWS 長崎国際体育館
「宣戦布告’92」
※この大会をもって活動終了
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■視聴者のみなさまへ
有田さんが記憶をもとにその場で語っているため、多少、言い間違えたり記憶違いをされていたりすることもあるかもしれませんが、そのあたりも含めて、ぜひ有田さんの熱いプロレストークをお楽しみ頂けたらと思います!(スタッフより)
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#全日本プロレス
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#天龍源一郎
OP作詞作曲:MC JAPAN&GREEN BREW STUDIO
OPCG:斎藤良浩
©2022「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」プロジェクト
当時小学生から中学になるところだったので、大人の事情という言葉を覚えた記憶があります。
田中社長の人の好さを何十年後かに知り、何だか申し訳なくてそれ以来メガネスーパーでたまに買うようにしています。
田中社長がプロレスの格とか掟とかを、知らなさすぎたのも原因だと思う。
当時のプロレスファンの思考そのまま、プロレス事業者に進出して、蓋を開けたら「カラクリ」を知ってしまってやる気をなくした、そんな感じと解釈してます。
当時はまだプロレスを見てなかったからリアルタイムでは知らないけど、天龍が次世代の川田達の為に全日を辞めたってのを知った時は凄く納得出来た
福田いらん
天龍以外で客を呼べるのが居なかった!カブキ▪️谷津▪️ジョージ▪️佐野▪️ナガサキ…中堅格だけど微妙なメンバー😅
結局、プロレスを衰退させたターザン…
もっと民間企業と協力関係が築けたかもしれないのに…
武藤敬司が、来る予定だった😅
天龍以外は一軍半の選手しか居なかった。強いだろうけど、休憩前良く出る選手や華が無い選手が多く、ビッグマッチでも外国人選手や藤原組が目立ってた印象
害悪、ター山
WARも検証していただきたい。
天龍引退試合のスポンサーに名前あって、嬉しかった。
国際のメンツがダメ過ぎ😢。若松さんなんて、裏方なのに道場の主を気取るんだから、身の程を知ら無さ過ぎる。
天龍源一郎は親分肌だけど、経営者としてはまったくの無能だった😢
時代が早すぎた。
週プロが悪く言われているけど、正直開幕戦からどうしようもない感じだった。おじさんレスラーだらけで人気でないだろうなという所感だった。部屋別もいいように言ってるが団体ごとに分かれてまとまりもなかった。
少数精鋭のUWFを見てきた田中社長がわざわざ違約金を払ってまで余計な選手を獲得したところから間違っていた。
選手のために療養施設を造ったり、試合中の事故で車イス生活になった片山明をしっかりサポートしたり、企業のトップとしては常識人だった人だからプロレスラー相手は相当しんどかったはず。
ちなみに個人的に一番クレバーさを感じたのは、ウルティモ・ドラゴンを直接引き抜くのではなく、一旦CMLLへ移籍させて、そのCMLLと提携して参戦させた小賢しさ。
先見の明が無く目先の金で動く人間が大きな影響力を持ってしまったゆえの悲劇。それが無かったとしてもSWS自体はは自壊していたかもしれないが、その後出資を検討する企業への悪影響は避けられたかもしれない。
正直、鶴田対天龍をもっと観たかったんだよね。だから天龍が抜けたのはほんとガッカリした記憶があります
試合は問題の神戸を観に行ったけど、とにかくヤジが凄かった。後はWOWOWで観てたかな。旗揚げ当社、入場曲がデーモン閣下の作曲したものに刷新されたのも評判悪かった。平成の新しい形のプロレスになるはずが、天龍を除いて結局集まって来たのが昭和の金に群がるおじさんだらけだったのが残念。どうでもいいけど、1990年5月発足で、プレ旗揚げが9月だった気が…
この後WARが夢の架け橋の裏で興行するとき、越中さんをレンタルした新日本プロレスリング
当時、毎週必ず週プロを買い、全ての記事を一言一句逃すことなく読み込んでいました。
その影響で、SWSについては『金権プロレス』という印象しか持っていなかったことを記憶しています。
今思えばプロレス界発展の千載一遇のチャンスだったことは間違いありませんが、当時はSWSアンチでした。
当時草加市の体育館でランディ・サベージ見ました!試合は全体的にまあまあ面白かったし会場もまあまあ沸いてました。今考えるとあんな地方体育館でサベージ見れたの超貴重でした。SWSは選手のスタイル、考え方がバラバラだったのが残念でしたね。