映画「四つの恋の物語」日活
①ロケ地の巨大マンションと前の道
「ツイン一之橋1号館と2号館」「麻布通り」
東京都港区港区麻布十番4-3
②十朱幸代さんと笠智衆さんが歩いてた橋
古川に架かる「小山橋」でツイン一の橋の裏にある
東京都港区麻布十番
③浜田光夫さんが車から降りた場所
「恵比寿西口駅前広場」
東京都渋谷区恵比寿南1丁目5
④浜田光夫が絡まれてた駅のホーム
「JR大塚駅」
東京都豊島区南大塚3丁目
⑤吉永小百合さんが働いてたビル
「日石本館ビル」
東京都港区西新橋1丁目3、現在の「西新橋スクエア」
この1965年を考察すると、恵比寿駅西口広場からは、東急バスの祖師ヶ谷大蔵行きがあり、駒沢オリンピック公園の前を通っていたが、今は渋谷からの路線しか無くなり、駒沢へは行けなくなっている。JR大塚駅前は大塚角萬のCMが沢山流れていた。最近では有名なバッティングセンターが入っていたビルが無くなっている。西新橋にはまだニュー新橋ビルがない頃だ。
小学生の時東京五輪前に
この十番のマンションに
知り合いがいて一度行ったことがある
上の方の階だつた おぼろ気ながら
当時は珍しかったねマンション
まだあるのか
善福寺にお墓が有るので5歳の私はこの風景を見ていたのか~。
麻布のHONDAのお店、80年代のバイクブームの時にホンダを退職した人(元役員だったので話題になった)
が開業した「バイク用品のお店」でツーリングのイベントが有ったので参加しました、
たぶん同じ場所ですが家賃高いのに凄いなぁと当時思いました。ホンダ繋がりで借りれたのかな?
でもこの店が存在したのは一瞬だった。
恵比寿駅!これですよ恵比寿駅は!他の映画でも旧恵比寿駅が出て来ると懐かしさ満開、
大事件の報道シーンでよく登場するのですが、横断歩道と横断歩道の間の踊り場で屋台でオバちゃんが新聞を売ってる的な感じで
(赤い人が立っている場所)その場所で新聞は絶対に売ってなかったので嘘つけと思ってました。
住んでいた場所は違えどこの当時の街の建物、自動車、風俗の雰囲気は懐かしい、しかし関口宏さんが若いですね。
力道山が所有していたマンションは今もあるそうですが、知りませんか?
麻布十番のマンション。今でも当時のまま立派な佇まいですが 耐震補強とか出来てるのか余計な心配をしてしまいました😅
マンションのエレベーターは 流石に当時の物から更新はされてるでしょうけど。
山手線は 茶色の旧型国電から 1963年迄に黄色い新性能電車(101系)となりましたが翌1964年以降 黄緑色の103系への置き換えが始まり その過渡期の1969年迄は 黄色と黄緑 両方が走っていました。
尚 黄色い電車は総武・中央緩行線に転属して そちらの路線カラーとして定着しました。
お疲れ様です。
再開発でかつての景色が失われると、少し寂しい気持ちになりますね。
劇中の青いオープンカーは、1962-64年型シボレー・コルベア・モンツァ・コンバーチブルかと思います。
13:30 「おおつか」ですねw
14:25 日活調布撮影所近くの多摩川という可能性はないでしょうかね。
三田で働いていた頃、ほぼ毎日小山橋を渡っていました。まさか無くなっているとはびっくり💦
橋を渡った先の小山町は古き良き昭和の町並みが残っていたのですが……防災の面からも再開発は仕方ないとは言えやはり寂しいですね
毎回毎回とても楽しみにしています。ただ、音声レベルをもう少し上げて一定にしていただくと、聞きやすくて助かります。現場での録音もあるかと思いますが、ぜひ調整をお願いします。
恵比寿には1960年代から2000年初頭まで実家がありました。
15:27 のおそば屋さんは「松月庵」といって小学生の同級生の女の子のご両親が経営していたお店です。2000年頃に通り沿いから奥の方へ移転し2020年頃まで現存していたと思います。近くには「昭月庵」というご親戚の経営する別のおそば屋さんもありました。
いつも貴重な映像ありがとうございます。探索・撮影お疲れさまでした(^^)(^^)(^^)
当時の東京は高い建物も少なく空も道も広く感じますね…現在の画像を比較するとなんと狭く窮屈に感じることか…😯長谷川外科医院の名前、入口と屋根上の看板は映画撮影用の為に取り付けた大道具のような気がします。本日も唸りながら感動して見させて頂きました。レポートお疲れ様です
十番のこのマンションは都営住宅だったように記憶しています。高校の同級生が住んでいて、一度だけ遊びに行きました。
最後に出てきた川は多摩川で、左手の建物は川崎市立西丸子小学校ではないかと考えます。
知らんけど😅
麻布十番の築60年のマンションが1億円 とは驚きました。
駅ビルのアトレが建つ(平成初期)前の恵比寿駅が懐かしいです。築堤に張り付くように小さな駅舎があって、改札を入るとトイレがあるだけの渋谷の隣とは思えない駅でした。
長谷川病院の川沿いの土手。背後の学校を見ると金八先生で出てきた足立区の柳原小学校を彷彿とさせますね。
ラストシーンは多摩川川﨑側上丸子あたりから上流をむているか、東京側西六郷あたりから下流を向いているか・・・かな?
最後の長谷川外科医院は、川崎市中原区下沼部のサクラノ幼稚園ですね。2009年のストリートビューを見てみてください😊
吉永小百合、和泉雅子、十朱幸代、笠智衆。贅沢な映画ですね
50年前まで、小山橋のすぐ近くに住んでいました。
この映画撮影時、私はまだ1歳だったので覚えてないのですが、ツイン一の橋裏の公園で休憩している出演者をよく見掛けたと母が生前話してくれてました。また本当かどうかは分かりませんが、お前は赤ちゃんの時に綺麗な女優(吉永小百合)さんにだっこされたんだよ。とも言ってた。
この映画だったのですね。こんどじっくり視てみます。
都内で撮影した昔のドラマや映画見てるとほぼ場所が分かります。馴染みのある風景が多いことは自分自身が街並みを見て良く撮影してたりすることもあって、昔のドラマや映画を見て、お!!と思いますね、時代は変わってますが何処かに面影が若干残ってしますね。また楽しみにしています。山手線、カナリア色した電車走ってました、のちにウグイス色の電車に統一されました。名残として当時の赤羽線がカナリア色で最後まで残ってましたね、
エンディングの土手上のショットで遠景に橋の上の電車らしきものが写っています。
光具合からステンレス製の電車と思われますが、当時ステンレスの車体は東急くらいしかなかったように思います。
田園都市線が多摩川を渡る鉄橋の下流1kmくらいの多摩沿線道路上に現在は歩道橋がありますが、歩道橋の橋脚に一番近い家が劇中の長谷川医院で、土手下の道を20mくらい上流側に進んだところに斜めに入る道があって、それが白衣を着た看護婦らしき人が写っている道ではないかと思います。
もともと赤い門扉らしきものは河川敷へ行くための通路になっていて(夜は危険なので閉めている?)、時代を経て歩道橋に変わったものと推測します。
1:25
ツイン一の橋のエレベーターインジケータ… 私は古いエレベーターを見るのが割と好きですが、戦前の針式とも違う、このインジケータは妙に特撮なんかのセットっぽい作りだし、他に見た事が有りません。。本編を見ればこのシーンがセットか当時の本物かは分かると思いますが、変なところが気になってしまいました(笑)
でもマンション年代からして旧耐震マンションですよね。
僕だったら買わないな。
ロケ地探し、楽しく拝見しています。あっているかどうかはわかりませんが、最後の川はやはり玉川で、学校らしき建物は川崎市立下沼部小学校ではと思いました。映画を見て確認したら後ろに見える鉄橋を白く長い編成の列車が通っていましたから、当時の0系新幹線ではないかと。病院は今のサクラノ幼稚園のある場所付近の建物ではと私は思いました。次の作品楽しみに待っています。
私はこの当時の名称で東京都住宅供給公社の一の橋ビル2号館に子供の頃から約30年間住んでいました。ロケが行われていたことには全然気付かなかったのですが、数年前に映画館でリバイバル上映を見てビックリしました。エレベーターと室内はセットで実物とは異なります。
そして十朱さんが飲んでいたおでん屋の屋台は小山橋手前の高速道路下の公園前にあったと記憶しています。というのはこの時ベランダから屋台が見えたので本物だと思い鍋を持って買いに行ったらおじさんが一人いてこれは売り物じゃないからと追い返された想い出があります。その時は全く訳が分からなかったのですが映画用の造り物だったということですね。大通りの都電といい沢山の想い出が詰まった作品です。
今も建物が現存する事にびっくり。
小百合さんのスカーフのエレガントさ。もう流行らないのかな。
昔のヨーロッパ映画には多かった。
ここは正に地元です。
以前は一の橋ビル1号館2号館で、同級生も大勢住んでいましたし、お稽古にも行っていましたのでよく存じ上げています。
一の橋ビルの廊下も映っています。
HONDAもありました。
ヤマハ音楽教室が1号館の1階にありました。
ヤマハの隣、ビルの隣には材木屋さんがあって長い材木が何本も立てかけられていました。
ただ、私はこの映画よりもう少し後の年代ではありますが懐かしいです。
おでん屋さんの屋台の場所ですが
一の橋ビルのすぐ裏に公園があり、公園の出入り口のところに屋台があると思います。
小山橋はその公園の先です。
おでん屋のその先にある建物は一の橋ビルの2号館の裏側です。
その公園も何度遊びに行ったことか。
ツイン一の橋も建て替え予定だそうです。
こちらを取り上げてくださり、ありがとうございました✨
背後に映りこんでいる乗り物中心の話題を投稿させていただきます。
0:55 1000形の都電、ビューゲルの向きから一の橋電停方面へ走り去る5系統永代橋行きでしょう。二の橋から一の橋の間は昔から道幅が広く、都電は植え込みに囲まれたセンターリザベーション方式の線路を車に邪魔されることなく走行していました。
ツイン一の橋は、今ではマンションと呼ぶのかも知れないですが当時を知る地元民には「一の橋アパート」のほうがなじみがあります。何れにしても今や歴史的建造物ですね。
9:43 背後に映りこんでいる都営バスは恵比寿駅と日赤産院を結んいる56系統(旧系統番号)ですね。今もロータリーから発着しています。
9:49 この場面は私の当時の恵比寿駅の記憶そのままです。ウグイス色の山手線電車を初めて見たのもちょうどこの場所で、形状の差異から一目で新形式の新車であるとわかり、小学5年生の少年は一人で興奮していました。昭和38年、正にウグイス色の103系デビューの年でした。
10:14 東急バスが映り込んでいます。ロータリーで右折するそぶりを見せていないので桜新町から東京駅南口へ向かっている駒沢線101系統でしょう。
まさに記憶の中の一の橋と恵比寿駅!とても懐かしかったです。
関口宏が俳優だったなんて今の人は知らないんだろうな。因みに奥さんは西田佐知子。菊正宗の人
サムネ見た瞬間何となく麻布十番だと分かりました笑
今回も素晴らしいリポートありがとうございました ♪
恵比寿駅は見た瞬間一発でわかりました。他の動画で上げておられた「ニッポン無責任時代」で新橋芸者のまんまる(団令子)が電話をかけてた場所ですね。
大塚駅はたまに利用するのですが、「画面の駅のホームは地盤面にあるようだから(自分の記憶では大塚駅は高架駅なので)大塚駅じゃないだろう」と思いましたが、正に大塚駅でしたね。ようやく理解できたのですが、大塚駅は長い傾斜した地盤面の淵にあり、ホームの西側は地盤面にあるが、東側は高架状になっている、ということで、人々が利用する駅の出入り口は東側にしかないので、駅全体が高架だと思い込んでいました(涙)。
セドリックとプリンスのタクシーですね。