『ブラック・レイン』の撮影が始まる前、松田優作さんは自宅で倒れて緊急入院しています。
そこで病が見つかりましたが、延命治療を断って撮影に臨みました。
撮影関係者で病気を知っていたのは安岡力也さんただ一人で、周囲には厳しく口止めがされていました。
國村隼さんが松田さんと初めて会ったのは、1988年11月6日。
『ブラック・レイン』の、新日鐵堺製鐵所での撮影現場でした。
「タフな体育会系」だと思っていたら、実際は「すごく繊細な人」だった——國村さんはそう語っています。
(『文藝春秋』2022年1月号/文春オンライン 2021年12月12日)
1989年8月ごろから腰の痛みが始まりました。
10月6日、第3回東京国際映画祭。
松田さんは「どうしても挨拶したい」とリドリー・スコット監督に会いに行き、
舞台挨拶は断って帰宅しました。これが公の場に出た最後の姿です。
翌10月7日に最後の入院。
1989年11月6日午後6時45分、逝去。40歳でした。
國村隼さんが初めて松田優作さんに会った日から、ちょうど1年後の、同じ日でした。
出典:
https://bunshun.jp/articles/-/50360 (文春オンライン 2021年12月12日/『文藝春秋』2022年1月号・國村隼さんの証言)
https://ja.wikipedia.org/wiki/松田優作 (病の発覚・東京国際映画祭・逝去。脚注つき)
https://www.moviecollection.jp/news/144269/ (MOVIE COLLECTION)
https://mantan-web.jp/article/20221111dog00m200020000c.html (MANTANWEB 2022年11月11日)
・病名はこの動画では扱っていません。
・倒れて入院した正確な日付は、資料によって記載が分かれるため画面に出していません。
安岡力也だけが松田優作の病を知っていたが口止めしていた。松田優作はひとに弱みを見せたくなかったのだと思う。
マッチで、タバコに火をつけてるのがかっこよかった
生きてれば
もうそういう歳か
時代劇とか出ない人だったけどこの人の大河ドラマとか見たかったな
◆この動画のまとめ
『ブラック・レイン』の撮影前に病が見つかった松田優作さんは、延命治療を断って撮影に臨みました。撮影関係者で病気を知っていたのは安岡力也さんただ一人。國村隼さんと初めて会った1988年11月6日から、ちょうど1年後の同じ日に、40歳で亡くなりました。
◆見どころ
・新日鐵堺製鐵所の撮影現場で、國村さんが見た「すごく繊細な人」
・1989年10月6日、東京国際映画祭でリドリー・スコット監督に会いに行った最後の姿
・1989年11月6日午後6時45分という日付の意味
※病名は扱っていません。倒れて入院した正確な日付は資料によって分かれるため出していません。出典は概要欄に置いてあります。
松田優作さん・國村隼さんの、ほかのエピソードや逸話をご存じの方は、ぜひコメント欄で教えてください。いただいたお話は出典を確かめたうえで、今後の動画づくりの参考にさせていただきます。