【三國連太郎】実母が息子を売った日…徴兵から逃げた20歳と、歯を10本抜いた怪優90年の壮絶な生涯

【三國連太郎】実母が息子を売った日…徴兵から逃げた20歳と、歯を10本抜いた怪優90年の壮絶な生涯



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三國連太郎の生涯を徹底解説。昭和の名優・三國連太郎(本名・佐藤政雄)は、召集令状から逃亡し実母に密告され中国戦線へ。映画『飢餓海峡』『異母兄弟』『釣りバカ日誌』スーさん役、五社協定違反第1号、太地喜和子との恋、息子・佐藤浩市との確執、2013年の死去まで。
昭和の日本映画を代表する怪優、三國連太郎。1923年、群馬県太田市に生まれた本名・佐藤政雄は、生まれた瞬間から自分の父親が誰なのかを知らない子どもでした。母・はんは広島県呉市で女中奉公中に身ごもり、追い出された帰郷の途上、静岡県沼津駅で電気工事の渡り職人・佐藤正と出会います。育ての父に殴られ続けた少年は、14歳で下田港から中国・青島へ密航。大阪で旋盤工として働いていた20歳のとき、徴兵検査の通知が届きました。
戦争に行きたくない。そう考えた彼は貨物列車に潜り込み西へ逃げますが、逃亡先から母へ送った手紙が憲兵隊に渡り、佐賀県呼子で捕まります。息子を売ったのは、実の母でした。中国戦線へ送られた部隊の生還者は、千数百人のうちわずか20人から30人。熱病で10日間意識を失い、焼き場でむしろをはがされた瞬間に目を覚ましたという逸話も残しています。
1950年12月、東銀座で松竹のプロデューサー小出孝にスカウトされ、翌1951年、木下恵介監督『善魔』でデビュー。役名がそのまま芸名になりました。1954年には五社協定違反者第1号に指定され、松竹大船撮影所の門には「犬・猫・三國、入るべからず」の看板が掲げられたと伝えられています。1957年『異母兄弟』では老人役のために麻酔なしで上下の歯を10本抜き、1965年『飢餓海峡』の犬飼多吉役で狂気と飢餓を体現しました。
その一方で、生涯に4度の結婚、太地喜和子との大恋愛と3か月での失踪、婚約不履行訴訟と高利貸しからの借金、東映のブラックリスト入り、49歳での全財産放棄とパキスタン・アフガニスタン放浪など、スクリーンの外でも伝説を残します。1986年には自ら監督した『親鸞 白い道』でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。1988年から始まった『釣りバカ日誌』のスーさん役で、ついに国民に愛される顔を手に入れました。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞は『利休』『息子』『三たびの海峡』で3度受賞しています。
11歳で父に去られた息子・佐藤浩市との確執、1996年『美味しんぼ』での親子共演、孫・寛一郎へと続く親子三代の系譜。そして2013年4月14日午前9時18分、東京都稲城市の病院で急性呼吸不全により90歳で死去。「戒名はいらない、三國連太郎のままで逝く」という遺言を残し、その最期に息子は間に合いませんでした。本名を捨て、借り物の名前で生き抜いた男の真実を、約40分でお届けします。
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