「お元気ですか。僕はもうダメです。元気でいて下さい」
黒柳徹子さんの留守番電話に、その声は残っていました。それが、最後になりました。
1996年8月4日、渥美清さんは68歳で世を去りました。日本中が訃報を知ったのは、3日後の8月7日。そのとき渥美さんは、すでに家族だけの手で荼毘に付されていました。お葬式は、ありませんでした。27年間、寅さんを共に作り続けた山田洋次監督でさえ、渥美さんの自宅を知らなかったのです。監督が初めてその玄関をくぐった夜、迎えたのは、小さな骨壺でした。
あの静かな去り方は、突然の思いつきではありませんでした。1983年、55歳。岡山でのロケの帰り道、渥美さんは突然車を止め、仏具店に入っていきます。そこで作ったのは――自分の位牌でした。表には「田所康雄之霊」。芸名ではなく、本名で。それは、亡くなる13年前のことです。
15歳で「二十歳までには必ず死ぬ」と覚悟した少年。25歳で右の肺を失った療養所の日々。人気の絶頂で「どぶの中で無名のまま死ぬ」と語っていた男。渥美清さんは、なぜあの去り方を選んだのでしょうか。そして、いつから決めていたのでしょうか。没後30年の夏に、もういちど、その68年をたどります。
■ 参考資料
・山田洋次・黒柳徹子『渥美清に逢いたい』(マガジンハウス 2024年)
・篠原靖治『生きてんの精いっぱい 人間・渥美清〜壮絶ガン闘病と家族愛〜』(主婦と生活社)
・秋野太作『私が愛した渥美清』(光文社 2017年)
・小泉信一 監修『渥美清 没後20年 寅さんの向こうに』(朝日新聞出版)
・渥美清『渥美清 わがフーテン人生』(毎日新聞社 1996年)
・早坂暁『この世の景色』
・週刊ポスト 1971年(渥美清インタビュー)/NEWSポストセブン 2021年8月21日
・朝日新聞 be 2022年9月17日号(山田洋次監督 寄稿)
・日本経済新聞 2020年「寅さんと食べたステーキが支え 倍賞千恵子さん」
・月刊浅草ウェブ「浅草六区芸能伝」渥美清の回/関敬六の回
・佐藤利明(娯楽映画研究家)「渥美清 評伝」note
・Wikipedia 日本語版「渥美清」
渥美清さんの映画で、心に残っている一本はどれでしょうか。あの時代を一緒に過ごしたご友人と語り合うきっかけに、あるいはお子さんやお孫さんに伝えるきっかけに、この物語がなれば幸いです。よろしければ、コメント欄で、あなたと寅さんの思い出をお聞かせください。ご覧いただき、ありがとうございました。チャンネル登録で、昭和を生きた人々の物語を、これからもお届けしてまいります。
#時代を生きた声 #渥美清 #男はつらいよ #寅さん #没後30年
【没後30年 渥美清さんへ】🌸
1996年8月4日、渥美清さんが旅立ちました。
訃報を知ったとき、すべては終わっていて——
私たちは「ありがとう」ひとつ、言えないままでした。
あれから、30年。
それでも夏が来るたび、あの人は画面の中で旅をしています。
あの日、大船のお別れの会に行けなかった方も、
どうぞこのコメント欄に、一輪の花を置くつもりで 💐
あなたと寅さんの思い出を残していってください。
30年遅れの「ありがとう」を、渥美さんはきっと、
あの照れくさそうな笑顔で受け取ってくれるはずです。
ありがとう、寅さん。❤️
合掌 🙏🌸
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