【渡哲也×吉永小百合】なぜ2人は結婚できなかったのか?原爆ドームで消えた“抱擁”、涙の別れ…51年後に渡が望んだ最後の大ラブシーン

【渡哲也×吉永小百合】なぜ2人は結婚できなかったのか?原爆ドームで消えた“抱擁”、涙の別れ…51年後に渡が望んだ最後の大ラブシーン



渡哲也と吉永小百合。昭和の映画史を代表する二人が、『愛と死の記録』で出会い、結婚まで考えながら別々の人生を選び、晩年に再び「最後の一本」を語るまでの知られざる物語をたどります。
原爆ドームで撮影されながら、本編から消えた二人の“抱擁”。その出会いの裏には、浜田光夫を襲った突然の事故と、24歳の渡哲也が急きょ代役に選ばれたという、映画史を変える出来事がありました。
過酷な広島ロケを共にした渡哲也と吉永小百合は、やがて共演者という関係を越え、結婚を真剣に考えるようになります。しかし、女優としての仕事、家族への責任、そして昭和という時代の価値観が、二人の前に大きな壁となって立ちはだかりました。
1969年、二人が選んだのは別々の人生でした。それでも長い年月を経た1998年、吉永小百合の強い希望から、二人は映画『時雨の記』で本格的に再共演します。
そして2017年。長い闘病とリハビリを続けていた75歳の渡哲也は、吉永小百合を前にこう語りました。
「元気になったら、最後の一本は吉永さんとご一緒したい」
吉永が大人の恋物語を提案すると、渡はさらに「大ラブシーンのあるものを」と笑いました。
51年前、原爆ドームで撮影されたのに消えたラブシーン。
そして晩年、もう一度撮りたいと語った大ラブシーン。
その願いが叶うことはありませんでした。
昭和スターの恋愛、結婚、家族、映画界での葛藤、そして渡哲也の晩年と闘病まで。二人の関係を単なる「悲恋」としてではなく、日本映画史と昭和芸能史の中に残された、一つの長い人生の物語として振り返ります。
【目次】
00:00 75歳の渡哲也「最後の一本は吉永さんと」
01:48 1966年『愛と死の記録』二人の出会い
03:42 浜田光夫を襲った事故、24歳の渡哲也が代役へ
10:35 原爆ドームで撮影された“抱擁”が消えた理由
13:46 結婚を考えた渡哲也と吉永小百合、家族と仕事の壁
20:07 1998年『時雨の記』約30年を経て再び向き合った二人
24:44 2017年「大ラブシーンを」叶わなかった最後の一本、そして2020年
【参考資料】
日活『愛と死の記録』
https://www.nikkatsu.com/movie/20949.html
東映ビデオ『時雨の記』
https://www.toei-video.co.jp/catalog/dutd02398/
日刊スポーツ「渡哲也2年ぶり元気な姿 吉永小百合と映画共演約束」
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201710010000043.html
石原音楽出版社 渡哲也プロフィール

石原裕次郎 渡哲也


日刊スポーツ「渡哲也さんが妻に残した『遺言』」
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008140001155.html
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