「殿のためなら命を投げ捨てる」伏見城を託された鳥居元忠と家康の絆 #ドラマ  #歴史#shorts #徳川家康 #戦国時代

「殿のためなら命を投げ捨てる」伏見城を託された鳥居元忠と家康の絆 #ドラマ #歴史#shorts #徳川家康 #戦国時代


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  1. 当時の価値観としてここで死ぬことで子孫が盛り立てられるならその価値があるってことなんだよね
    逆に信長とかは(命令違反があったにせよ)敗死した武将の領地を取り上げたりしたのが当時の感覚だとありえないっていうのもあって裏切られまくったんだろう

  2. 家康は秀吉死後に一度も江戸に帰国していない。今回の会津上杉征伐で、そんな家康が上方をあえて留守にする目的は、むしろ反徳川諸侯を十把一絡げに一網打尽にするため、あえて隙を作って、三成を挙兵へと誘い込む罠じゃないか。

    逆に誰も挙兵せずに、家康が会津上杉征伐を成就させたら、家康は会津120万石を味方の諸侯に分配するのが大変そう。多くの諸侯にとって、会津の一部をもらっても飛び地だし。

  3. 鳥居元忠が伏見城をわずかの手勢で、石田三成の軍(参戦しているのは、小早川、吉川が主。関ヶ原では徳川に寝返った。)を足止めして、家康に関東から早々に関ヶ原まで引き返す時間を与え、関ヶ原の戦いで勝利をもたらす一因を作った。

  4. 鳥居は伏見城での 時間稼ぎのため 退却や降服 することは認められず 少しの軍勢で応戦し全滅するまで 戦ったらしいよ😭

  5. 家康を悪役に描いた作品でも、この件は家臣団との絆を示す重要な物語。関ヶ原はには必ず語られる逸話。

  6. 真の忠臣とは……
    自軍が劣勢で、自分が逃げれる状況にも関わらず踏みとどまって奮戦する者。
    明らかに自軍が負ける事がわかっているにも関わらず降伏せずに奮戦する者。
    正に劣勢な状況にこそ輝く命ある者✨😢

    代表例
    武田信繁、清水宗治、高橋紹運、鳥居強右衛門、鳥居元忠、仁科盛信などなど

  7. この、鳥居元忠公の家紋の鳥居紋は、伏見城の戦いのとき、家紋の旗がびっしりとひしめいていたので、大坂の兵たちは、攻めるときに、戦意が上がりにくかったと言われていますね。
    神様のある社を責めたら、罰が当たるとまで言われていましたからね。
    偶然かもしれませんが、鳥居元忠公は、これで一躍名前を不動のものにしましたね。
    m(_ _)m。

  8. 台詞では他の家臣より能力に劣る部分があるから命ひとつでお役に立ちますみたいに言ってますが、現場の軍事指揮官としてやるべき事はやっているんですよね。あっという間に落城されても困ると思ったのか家康は「この連中は籠城の将として残していく」と言われれば「あいつとこいつは将来役に立つ男達だから関東へ連れて行ってやってくれ」と言ってギリギリの人数で戦う覚悟を示し、籠城戦が始まる直前には城将の一人である木下家定が豊臣家の縁者であることを危惧したのか城外に追い出したりして城中一丸となって敵に立ち向かえるような手配をしています。
    忠義の権化みたいに描かれることが多い鳥居元忠ですが岳宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」の中の一章「帰郷」で描かれる姿が一番リアル何じゃないかなと思っています。未読の方がいらっしゃったら、是非。

  9. 現代では死ぬことが正しい訳ではないけど当時の彼は、400年分の名誉を得ることが出来た。

  10. みんなここを「今生の別れ」と評価してるけど、少なくともこのドラマでは本人達はそう認識していないことには注意。
    家康は「三成は"たとえ無勢であっても"信念を貫き兵を動かす」と思っていた。要は三成の軍動員力についてはそこまで見ていなかった。
    だから元忠は「いや〜(治部の挙兵は)無謀でござろう」と答えた。
    ただそれでも、三成が挙兵すれば真っ先に攻められるのは伏見城。ならば、三成の軍(見積もっても約1万程度)を十分抑えられる元忠と約2000人を置いておけば、家康が上方に戻るまで十分な時間を稼げると、この時は2人とも考えていた。
    だからこのドラマでは、元忠は「自分が捨て石になる」とも言わんし、家康は「すまぬ」とも言わない。元忠は言葉通り「家康の留守を守る」つもりだったし、家康は「元忠に任せれば上方は安心」と思っていたはず。
    二人、ひいては徳川陣営の誤算だったのは、他の大老が三成派に加勢し、特に家康に次ぐ五大老筆頭だった毛利輝元が西軍総大将に就き大坂入城を果たしたこと、そしてその為に西軍が「豊臣」を擁する公儀軍になってしまったこと。
    これらの誤算が、家康と元忠の今生の別れという悲劇を生み出してしまった。

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