同じ東軍なのに、福島正則は三成を罵倒し、黒田長政は陣羽織をかけた。#shorts  #映画  #石田三成  #徳川家康

同じ東軍なのに、福島正則は三成を罵倒し、黒田長政は陣羽織をかけた。#shorts #映画 #石田三成 #徳川家康


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  1. 黒田長政は、三成から罵倒されて自分の悪行を暴露されたくなかったから、小賢しい演技をして三成を黙らせた。

    父如水を真似て策を弄して家康を助けたが
    父如水からすれば
    息子の小賢しさには怒りを通り越して呆れるしかなかっただろうな。

    如水が関ヶ原の戦いに乗じて九州を平定し、その勢いで上方に攻め登り、関ヶ原の勝者と雌雄を決しようとしていたのに、小賢しい息子が策を弄して西軍大名を内通させ家康を短期戦で勝たせてしまった。

    愚かな息子が得意げに
    「勝利のあと、家康公はわが手を取られ、此度の勝利は貴殿のおかげと仰られ」と言ったとき、如水は
    不機嫌そうに
    「その手は右手か左手か」と尋ねる。長政が
    「右手でございます」と答えると、如水は吐き捨てる。
    「では、その時左手は何をしていたのか?」と。

    なぜ左手で家康を刺し殺さなかったのか?
    わが真似をするなら天下を狙うくらいの気概を持つべきであるのに、家康ごときに飼いならされおって。

    と。

    多少は知恵があってもその程度。福島正則に至ってはただのバカ。

    秀吉はろくな家臣を持たなかったということ

  2. 正則と三成の明暗は関ヶ原後にはっきり
    現れた。
    まぁ秀吉ファミリーと元浅井の家臣じゃ
    水と油だろ?

    三成の失態は清正と長政の2人を味方にできなかったことか。

  3. 関ヶ原の戦いは三成言う通り、武運次第の面があった。
    島津、小早川が西軍として奮闘すれば、西軍が勝ってただろう。
    その後の日本の歴史が、わずか半日の戦いで決まってしまったのは儚い気がする…

  4. 豊臣諸大名が徳川についたじてんで豊臣の天下はなかった、石田三成は嫌われすぎた、島津は最初から徳川軍軍として戦いたかったしかし叶わなかった無念だと島津義弘、

  5. ぶっちゃけ福島正則と石田三成はそんなに仲悪くないらしい。
    講談小説の福島正則と言う意味では正則っぽい

  6. いや、

    当時、三成にここまで言えるような権限はない

    ここまで言えるのは、豊臣政権にいた五大老くらいでしょ

    西軍、東軍で戦をしたとはいえ、三成のほうが、役職は上だったので

    このような振る舞いはしなかったのでは😅

    猛将だということしか伝わらないな、この演技だと

  7. この後、福島家は46万石を拝領するけど、御法度を破り4万石に減封されて失意の内に死去します。
    その後、後継ぎがしでかして取り潰しになります。
    三成も草葉の陰で溜飲を下げたでしょう。

  8. 蟹江敬三は若い頃から奇人変人めいた悪人を演じるのがすげー達者だったから、こういう大仰で粗野で剽軽な福島正則は見事にサマになったんだと思う。史実の人物を演じて冥利に尽きるのは、役者が演じたイメージに視聴者が染まることなんだろうな。津川家康、江守三成、蟹江正則。今や誰もが鬼籍に入った。

  9. 福島正則が豊臣家が滅んだあと三成のことをどう思っていたのかもし過去にタイムスリップして聞けるものなら聞いてみたい

  10. 一時の感情で三成を憎み打ち果たして意気揚々の正則だが、長い年月をかけて改易処分となる。戦さで潰さず幕藩体制が完全に整ってから問答無用で取り潰すというのは実に頭の良い方法だと思った。

  11. ただ石田三成が嫌いなだけ、秀頼に忠誠も尽くさず、領地も取り上げられた、大嫌いな武将

  12. 福島氏自分の心正直に生きた結果❗太閤様が天界より…何故秀頼をみかぎり…家康に付いた…恨んだと思う結果は秀頼みかぎりが豊臣滅亡に❗一本義の心が自滅の道歩む…はたして豊臣家延命の心あったのか❓三成だけの怨み節が豊臣家崩壊へ懺悔の心が生涯苦しめたのでは❓

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