高倉健さんと菅原文太さんは、ともに1956年に映画デビューしています。
高倉さんは1964年の『日本侠客伝』でいち早く東映の看板となりました。
一方の菅原さんは他の映画会社で芽が出ず、1967年に東映へ移籍します。
移籍直後の菅原さんは、ファッションモデル出身だったことから
「気取りやがって、あの野郎」と陰口を叩かれ、
回ってくるのはセリフのほとんど付かない役ばかりでした。
役をもらえないかと、知り合いの監督の下宿を訪ねたこともあったといいます。
同じ東映には、学年で3つ上の高倉健さんが、すでに看板スターとしていました。
菅原さんはのちに、こう語っています。
「同じことをやってもかなわないとなれば、誰でもそう考えて努力するのではないのかな」
1973年、『仁義なき戦い』が大ヒット。菅原さんは39歳でした。
二人はその後、全12作で共演しています。
2014年11月10日、高倉健さんが83歳で亡くなります。
菅原さんはこのとき、こうコメントを出しました。
「健さん、東映、映画のことは時間をおいて自分で書きます」
その18日後にあたる11月28日、菅原文太さんも81歳で亡くなりました。
出典:
https://www.news-postseven.com/archives/20210510_1657937.html (NEWSポストセブン/二人の関係と追悼コメント)
https://eiga.com/news/20141201/15/ (映画.com 2014-12-01「菅原文太さん逝く、高倉健さんに比肩する映画スター」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/菅原文太 (脚注付き記述。東映移籍・陰口・39歳のブレイク)
https://ja.wikipedia.org/wiki/高倉健
※死因については触れていません。
トラック野郎シリーズの影響でトラック運転手(特に長距離)が爆発的に増えた
当時のデコトラは華があった