【寺尾聰】ルビーの指環で頂点に立った6年後…歌手として消えた意外な理由とは

【寺尾聰】ルビーの指環で頂点に立った6年後…歌手として消えた意外な理由とは



1981年、日本中で流れていた1曲があります。寺尾聰の「ルビーの指環」です。
その年の2月に発売された6枚目のシングルで、オリコン1位は12週連続。
第23回日本レコード大賞では大賞に加えて作詩賞・作曲賞・編曲賞まで独占するという、史上初の記録を打ち立てました。大賞を手にしたとき、寺尾は34歳でした。
ところが、それから6年ほどで寺尾はレコードを出さなくなります。歌番組からも姿が消えました。
本人はその理由を長く語っていません。
ただ、この時期の寺尾には2つの別れが重なっていました。
歌謡界の頂点に立った男が、なぜ歌うことをやめたのでしょうか。

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  1. 寺尾聰が歌から離れた背景には、2つの別れがありました。

    ひとつは事務所との別れです。音楽活動の進め方をめぐって所属事務所の首脳と考えが合わなくなり、最終的には「勘当」という形で退所することになります。

    もうひとつは、父との別れでした。1988年1月9日、俳優・演出家として知られた父の宇野重吉がこの世を去ります。寺尾はこれを機に音楽と距離を置き、演技の道に打ち込んでいきました。

    その後の寺尾は黒澤明監督作品に立て続けに出演し、2001年の「雨あがる」では主演を務めて日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しています。歌手としての活動を再開したのは2005年7月7日、実に18年ぶりのライブでした。

    みなさんにとっての「ルビーの指環」の思い出はどんなものですか?コメントで教えてください!

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