晩年の渥美清さんは、松竹の看板としてかなりの無理をしての仕事でした。
『男はつらいよ』42作目(1989年12月公開)以降は、病気になった渥美さんに配慮して
立って演じるシーンが減らされ、晩年は立っていることもままならず、
撮影の合間は寅さんのトランクを椅子代わりにして座っていることが多かったといいます。
44作目(1991年12月公開)のころ、渥美さんは山田洋次監督にこう語っています。
「スタッフに挨拶されて、それに笑顔で答えることさえ辛いんです。
スタッフや見物の方への挨拶を省略していただきたい」
ところがこの事情を知らない撮影の見物客は、
渥美さんに声をかけてもまったく反応してもらえなかったことから
「愛想が悪い」と言うことがあったそうです。
渥美さんは生前、私生活を徹底的に秘匿していました。
自宅の住所は山田監督にも知らされておらず、
それは「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためだったとされています。
1996年8月4日、渥美さんは68歳で亡くなりました。
『男はつらいよ』シリーズは、第48作『寅次郎紅の花』まで続いています。
出典:
https://ja.wikipedia.org/wiki/渥美清 (脚注付き記述。42作目以降の配慮・トランクを椅子代わりにしていたこと・44作目のころの山田洋次への言葉・「愛想が悪い」と言われたこと・私生活の秘匿)
https://ja.wikipedia.org/wiki/男はつらいよ
※闘病の詳細な描写は避けています。
渥美ただし
若すぎる死ですね。
蛋白脂質食【糖質オフ】(水野雅登医師提唱)で、元気で長生き120まで。
肝臓癌から肺に転移 闘病5年はしんどかったでしょうね
◆この動画のまとめ
晩年の渥美清さんは立っていることもままならず、撮影の合間は寅さんのトランクを椅子代わりにしていました。44作目のころ、山田洋次監督に挨拶の省略を頼んだ渥美さん。笑顔で答えることさえ辛いと言った人が、シリーズ48作まで寅さんを演じ続けました。
◆見どころ
・「スタッフに挨拶されて、それに笑顔で答えることさえ辛いんです」
・事情を知らない見物客からは「愛想が悪い」と言われたこと
・自宅の住所は山田監督にも知らされていなかった
渥美清さん・山田洋次さんの、ほかのエピソードや逸話をご存じの方は、ぜひコメント欄で教えてください。いただいたお話は出典を確かめたうえで、今後の動画づくりの参考にさせていただきます。
元々、単発の予定だったし、テーマも「好き勝手に生きていると社会に受け入れられない」ものと聞いています。名字も“江戸を代表する「車」”でしょ。反論する前に、後は自分で調べてね!
その辛いとき 阪神大震災に神戸で収録
虎さん像があります
名作『拝啓天皇陛下様』での演技も忘れられません😢
68歳は、とても若いですね…。常日頃どんな食事をされていたのか…。パン食とか洋食だったのでしょうか。
とらさんしかわからない😮
肝臓癌を患い2年後に1つしか無い肺に転移・若かりし頃・肺結核で1つ肺を切除以降・日常生活すら苦しいと訴えてた渥美清氏・医師から・肺に転移した・そう告げられた瞬間・寅さんに役者人生を全て捧げ切る事を決意され見事に全うされましたね・5年間予断を許さ無い状況が続いた闘病生活・渥美氏は付き人に(誰か変わってくんないかな)等・闘病生活と撮影をこなす事の辛さとしんどさを常に訴えてたとか・何時容体が急変するか・その恐怖にさいなまれた其の心境は・言葉が無い・そう思いますね。
渥美清がなくなって西田敏行は釣りバカを降板した。
監督に殺されるぞ