千利休の高弟「利休七哲」の一人であり、九州の大大名となった細川忠興の敗北から現代に通じる教訓を探る!
室町幕府十三代将軍・足利義輝に仕える細川藤孝の長男として、1563年、京都に生まれた忠興は若くして織田家臣となり、16歳で明智光秀の娘と結婚。しかし、1582年、光秀が本能寺の変を起こすと、忠興は父・藤孝と共に剃髪し、光秀と距離を置いた。そして、信長の後継者となった秀吉の天下統一を支えていく。
1597年、秀吉の指示により、忠興の嫡男・細川忠隆と前田利家の娘・千世が結婚。ところが、秀吉が他界し、利家と家康が対立すると、家康から前田家との絶縁を迫られる。1599年に利家が病死し、翌年、関ヶ原の戦いが勃発すると、忠興は家康に従い、東軍の勝利に貢献。忠興は戦後の論功行賞で丹後から豊前に加増移封されたが、その一方で長男・忠隆を廃嫡せざるを得なかった。忠興はなぜ、忠隆の廃嫡に踏み切ったのか?
初代小倉藩主となった忠興は大坂夏の陣に参戦した5年後、三男・細川忠利に家督を譲って隠居。1632年、忠利が肥後国熊本に加増移封されると、忠興は八代城に入る。そして、廃嫡後、京で茶人として暮らしていた忠隆を呼び寄せ、30年越しの和解を果たした。1645年に忠興が83歳で亡くなると、忠隆は翌年、後を追うように旅立った。忠興の敗北から学ぶ教訓は…「感情の飼い犬にならず、感情の飼い主になれ」!
#細川忠興 #戦国大名 #江戸時代 #明治時代 #明治維新 #室町時代 #平安時代 #戦国時代 #安土桃山時代 #鎌倉時代 #歴史 #日本史 #偉人 #英雄 #伊東潤 #中西悠理 #こぼれ噺 #BS11
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2026年10月12日~11月2日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週月曜日 毎週月曜日 よる8時00分~8時53分放送
番組公式HP:https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
【BS11+ 公式Instagram】
https://www.instagram.com/bs11plus
【BS11+ 公式X(旧Twitter)】
Posts by bs11plus
いつも😁ありがとうございます😁楽しみです😁
細川忠興、茶人として利休七哲といわれる人なのに短気だったとか不思議な感じがしました。
愛妻家なのに妻を、また息子も廃嫡にするなど家を守るのが大変な時代だったのだと改めて感じました。
今回も知らなかったことが多かったので勉強になりました。
ハッキリ言って、大名茶人として失格の偉人だったんじゃないか⁉️
明智光秀「細川忠興を許さない」
今回の教訓は、如何なる時でも感情のコントロールが大切なことを学べて良かったです。
総じてこの時代の人たちにはカルシウムが足らなった感じがする
かの有名な(?)戦国DQN四天王の1人ですね
細川藤孝は管領の細川家とは、あんまり血筋近くないんじゃなかったっけなぁ
血がつながってるかどうかも確定していない位の
細川藤孝(細川幽斎)が偉大すぎたよ😢
晩年の長男や他の人々との和解は、少し救われる気持ちになりました。
細川忠興・・・・自分の身内だったら一番 嫌なタイプです。
この気質の女性は結構居るのではないかとも思います。プライド高く 嫉妬深く 頑固 世間体重視 現代ならPTAの役員とかやっていそうな夫を犠牲にするような女性。
いいイメージのない武将でした
器が小さい
これだけ跡継ぎの入れ替えをしているのに家臣団が分裂していない。単に激情・冷徹なだけでなく、堀さんや小和田さんの言うとおり現実主義かつ柔軟性に富んだ人物なんでしょうね
伊東潤著者📚️ 『天下人の茶』読みました。
面白かったですよ。
信長・秀吉は同じ信長+家康型戦略家です。忠興は家康型そして息子忠隆は光秀下剋上型。光秀型を見ると光秀・佐久間信盛・安藤守就・松平信康・小早川秀秋・豊臣秀次そして忠隆です。戦略家にとりこの光秀型がいかに危険な存在か分かります。家康型戦略家は体感で光秀型の危険性を理解できるのでしょう。
信長は利用した後排除し、秀吉は跡継ぎ候補が皆下剋上型で不運です。家康は信康以外は周りに光秀型を置きません。家康は能力だけでは人をつかいません。基準は信と律儀裏切らない武将を用います。細川忠興は家康型の思考行動気質を一生貫きました。家康は秀吉政権の天下が衰え自らの勢力が確固たるものになり始めて政権取りです。それまでは秀吉に臣従で律儀を貫きます。忠興の気質も同じです。信と律儀で臣従を貫き通した人生なのです。
戦略判断を一度も間違えない稀有な武将です。跡継ぎに家康型忠利を据えるなどで忠興の戦略脳の凄さが分かります。
忠興も苦渋だったとはいえ忠隆としては「なんで親父とお袋はアリで俺は離縁じゃなきゃならねんだよ‼️」っていう気持ちが情勢に合わない…というより忖度が強かったのはしっくりきます😢
結局、前田家は100万石大名なので忠隆廃嫡は無意味どころか害悪だったって話よ。
ただの過剰な忖度でしかなかった
短気な性格は仕方ないにしても、能力があるので権力もあり、下の者はえらい迷惑w短気なのは親父の藤孝が大き過ぎたせいもあるかもしれません。家を守る執着というか武家は皆そうでは?家の為に家族を切る、他家でもあることです
天下人たちを支え続けた大名茶人としての華やかな姿の裏で、我が子を自らの手で廃嫡せざるを得なかった細川忠興の断腸の思いを思うと胸が締め付けられるようで、家を守るための厳格さと親としての深い葛藤の間に生じた悲劇に言葉を失うほど深く考えさせられました。
細川忠興と森長可ではどちらがヤバい人だったのか気になりますw
先月、私の大学の卒業研究のフィ−ルドワ−クで、細川藤孝の居城である勝竜寺城に行ってきました✨そこで細川藤孝、忠興父子の事を沢山学びました😊細川氏を題材にした大河ドラマも是非放送して欲しいです😊
細川忠興と玉の夫婦は
美男美女だったと言われています。光秀と煕子も美男美女だったと言われています。
細川忠興は憧れる存在です
これほど感情的で非情な人だったとは知りませんでした。現代で言うサイコパスだったんですかね。ガラシャが可哀そうでなりません。
家を生き延びて残すためとはいえ、そりゃ今の時代からは忠興はかなり嫌われたり、偏見されるよな。
同じ利休七哲として外せない人物ながら蒲生氏郷とはキャラクターが対照的。
北九州市(小倉)の基盤を築いた人ですね。この時代は全国有数の都市の基盤を切り拓いた時代でもありますね。
後を継いだ忠利も忠興より5年早く亡くなってるので、ガラシャとの間に生まれた息子で最後まで残ったのは廃嫡した忠隆でした
勝ち馬に乗るのが上手いものの、上司に好かれ過ぎて家族ぐるみになって、その上司が失脚すると、次の権力者に取り入るために家族を切り売りしないといけなくなった男。にしか見えんかった
やっぱ忠興は好きになれない
世間に合わせて最適で完璧に正しいことをしているが
その矛盾とストレスと自分で抱えるからあるときキレてしまう
わりと世の中の男って多いのではないかなと
幼少期のしつけとかかなり忠興にとって強烈だったのかなと推察
それを理解できないで自分の世界を求める嫁も
29:05
違う違う違う。細川忠興はガラシャに直接「自害せよ」などとは言ってない。そうじゃなくて、家臣たちに「(武家の習慣に従って)妻を殺した後に、自分たちも切腹して、妻とともに死ぬように」と命じたんだよ。
解説は正確に!
前半所々子孫が、礼賛してるVTRが多くて不快…「~だったと思う…」とかお気持ち代弁いらない。事実だけ伝えて。
前から忠興嫌いだけど、引き続き細川家好きになれない。
黒田家との争いも聞きたかったな…
忠興も長政も豊臣裏切った武将は、その後幸せになってる印象ないな。祟りか…(笑)
忠興はカミさんの件も含めて、粘着質で偏執的な人物だった。
自分も似た様な性質を持つ者だから、よく判るんだよ。
やっぱ忠興酷い目にあって欲しかった
本当世の中不平等だよ
まず簡潔に言うと、個人的に父・幽斎公は大尊敬してますが、忠興公は正直あまり好きではありませんでした。
幽斎公は書芸武道全てにおいてスーパータレントでありながら、本能寺の変での髻を切って出家し、どちらにも与しないというなかなかできない柔軟な決断を下せるところが一番すごいなと思ってます!
私は幽斎公を尊敬するあまり、私のプロフィール名の由来にもなるぐらい好きです。
ただ今回の忠興公の人生の教訓「感情の飼い犬にならず、感情の飼い主になれ」という言葉は私自身とてもタイムリーに刺さりました。
私は小さい頃からいまだにずっと感情のコントロールが不十分ですし、これからもしっかり向き合っていきたいと改めて思いました!
長男・忠隆との関係も晩年で和解したエピソードも初めて知って感動しましたが、廃嫡という決断も俯瞰的に見たら仕方なかったのかもなと思って見てました!
伊東先生やVTRの先生方達、いつもわかりやすく解説いただき本当にありがとうございます!
毎回とても学びになります!
家は守ったんだけど妻と目があったら手打ちとかヤバすぎんだろ。敗北は後世の読み物に書かれたとこだったり。
政治的「そとづら」のために借金を重ね、見栄を張るのは細川の伝統芸
江戸時代、町民は金物に細川と刻むと錆つかないと言っていた
金気が失せるというまじないだったらしい
古今伝授や赤穂浪士の引き受け、近代でも美術品蒐集で金を惜しまなかった
親子で激しく政治対立するのもお家芸か
大河ドラマの主人公に熱望
細川藤孝の家系といわゆる管領につける細川京兆家は全くの別家なのでミスリードです
小西や宇喜多辺りならまだしも、最終的に丸め込んだ前田からなのに何故に家康は離縁させる事に固執・迫ったのか…
故に、大坂の陣で豊臣方についた興秋は許してやろうとしたんだけど、今度は当の忠興が許さないとは… 何というすれ違いなのか。