快進撃をした1992年の阪神タイガースの真相がヤバい…

快進撃をした1992年の阪神タイガースの真相がヤバい…



1992年、阪神タイガースは前年までの2年連続最下位という状況から
一転して、読売ジャイアンツと同率の2位に躍進します。
その躍進を支えたのは、夏の苦しい時期に月間MVPをとるほどの活躍をした投手でした。
しかし、その裏側ではある事件が起きていました。

阪神タイガースの躍進のきっかけとなった投手に
どのような事件が起きていたのでしょうか?
徹底解説していきます!

長い期間を1本の動画にまとめているため、フォーカスしている選手や事柄に偏りがあり、
投稿者の個人的な見解が多く含まれていることをご容赦ください。

★このチャンネルについて
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また選手の呼び方ですが、最初はフルネーム、2回目以降は呼び捨てで
呼ばせていただいています。
しかし、選手への敬意を欠いているわけではありません。
動画として聞きやすいようにこのようにさせていただいています。

★INDEX
0:00 オープニング
1:30 野田浩司
3:27 大石の教え
6:13 確執勃発
9:23 二軍落ち
17:58 その後
_______________________

【動画内容について】
本動画で使用している素材はあくまで解説のための「引用」であり、
著作権を侵害する目的は一切ございません。

また、本動画は誹謗中傷を目的とした意図はありません。

View Comments (43)
  1. よく調べてあるいい動画ですね!
    大石コーチは指導力には一定の評価はあったものの、人としてクセがあったようです
    選手によって接し方が大きく違い、一度嫌われるとずっと冷遇していたとか
    92年先発投手陣が活躍したのは、大石コーチではなく当時球団とは無関係だった広岡達朗の元に
    指導を受けに行っていたのが大きかったようです

  2. ちょっと活躍したらシーズンオフに色々とテレビに選手を出演させて疲労の回復と調整を阻害してる事を繰り返す在阪メディアと勘違いする選手が変わらず居るのが関西のおかしな所。

  3. その野田さんとトレードの松永さんが、僅か1年後に……笑。
    まぁ、野田さん本人は虎時代での大石コーチの教えが実ったのか、オリに行って1試合あたりの奪三振の日本記録を生み出したりで無双状態だったね。

  4. この時期の首脳陣や選手は絶対にコーチにしてはいけない。本当に弱かったしダメだった。だから岡田監督はある意味スゴいと思うよ。

  5. 私が初めて甲子園のTG カードを『生観戦』した日の阪神側先発が野田浩司でした。結局ゲームには負けましたが、超満員スタンドの熱気に身を置いた時の興奮は、いまも身体に焼き付いてます。

    それから間も経たないうちに当時、頻繁に生観戦していた贔屓のオリックス青波🌊への電撃トレードを経て、より身近な存在となるのだから世間はわからないもの。黄金期西武のAKD 砲との息詰まる熱戦を『生』で堪能し、奪三振日本記録を挙げて阪神時代以上の、正真正銘球界屈指のスーパースターへ到達する過程に立ち会えた幸せと誇りを、改めて実感しています。

  6. 正直中村さんの時代は中村さん選手ファーストじゃなくホワイトカラーから出向したようなスタンスだったから掌握術もなにも有ったもんじゃなかったからな。

  7. 大石はハムでも武田と揉めた。こういう上司がいると困るのは、サラリーマンも野球選手も同じということか。

  8. 昭和のトラキチから嫌われる江川と平成のトラキチから嫌われる松永。
    松永は阪神に来て開幕戦5打数5安打や当時の世界記録(現在でもか?)になる3試合連続先頭HRを放ったが、彼の実力なら当然でしょう。
    要は野田放出に見合わない年度成績と1年で退団・・松永はこのトレードで一気に株を落とした。

  9. その後野田はオリックスで最多勝を獲得したりして阪急で大活躍した。
    一方、松永は1年でダイエーにトンズラして、阪神は大迷惑を被った。
    ここまで解説しないとダメじゃないか。

  10. 世紀の大失敗トレードが阪神側の「野田放出ありき」から始まってたのは意外でした
    まあ当時の阪神フロントが糞なのには変わりありませんが

  11. ダメ虎製造機の当時の首脳陣😂
    しかし野田にとってこの件があったから後にオリックスでの素晴らしい活躍に繋がるんだよな。
    本人の野球選手生命としては良い流れだったな。

  12. この時の首脳陣はみな無能揃いやったやろな。大石は古くさい考えるのせいで他の選手からも嫌われたからや。

  13. 全然違う。この年チームを支えたのはマイク仲田、クローザーの田村。
    オマリー、パチョレックのクリーンナップ
    和田、久慈の二遊間。
    特に田村は7回から登板してた。前半勝てたのは田村がいたから。
    アホの中村のせいで壊れたけど。
    ちゃんと調べてアップしろ。

  14. まだ自分が中学生のころ野田がルーキーの時村山さんが監督で負けても負けても野田を使い続けてかつ、最下位でも弱くても応援する甲子園のファンを見て阪神ファンになりました。
    1992年の躍進はホントに良い思い出ですね。
    その後の松永野田のトレードでその後FAで1年で阪神を去った松永をどれほど憎んだ事か・・・。

  15. この年、スコアボードの阪神タイガースのT文字が、タイガースの攻撃になるとTの横棒が伸びたり縮んだりしていたのを発見した。なぜだろうとスコアボードとにらめっこしていたら変化球の時だけ横棒が縮んでいた事に発見。その事を知人に伝えると信じてくれなかったな。今となれば気のせいだったかな?と思う。

  16. 松永さんとのトレードは当初は阪神は嶋尾投手を出す予定だったんですがオリックス側がマイク仲田投手要求して来てさすがにその年14勝した投手を出せないので野田投手がタイガースから出ることになったみたいです。当時の中村監督は野田を出しても嶋尾投手が野田投手の穴の埋めになると考えてたみたいです。

  17. この年のエースは仲田幸司です。スライダーが良くなってこの年だけ開眼した感じでした。確かに湯舟はノーヒットノーランをし他の投手も活躍しました。中込も防御率良かったし前半は守護神田村が大活躍でしたから。しかしエースは仲田幸司でした。

  18. 野田を放出したときはかなりショックやった、松永はええ選手やったけど、あのときはほんまいらんかった

  19. この頃は、中継ぎには、御子柴、弓長、嶋尾がおったが抑えの田村の怪我が痛かったしあの八木のホームランがまぼろしではなかったら優勝していたのではと思う。あの試合だけど中村監督の講義が1時間ぐらいかかったのが印象的であった。

  20. 1992年は甲子園(阪神xヤクルト)の八木選手が
    サヨナラ本塁打を巡ってトラブルがありました。
    平光さん(セの名物審判員)が本塁打判定、ヤクルトが激怒、
    審判団で話し合いをして2塁打になります。阪神中村勝広監督は
    試合続行を拒否となり平光さんが今シーズンで辞職をすると約束をして
    試合は再開をしました。当時は延長15回でしたので長時間になります。
    (引き分けでした。)

  21. それまで中村監督はフロントの顔色ばかり窺う
    小心者と言う印象だった。
    しかし前年は自身の肝いりで獲得した高橋慶彦を
    さっさと2軍に送った。
    そして満塁のチャンスで岡田に代えて亀山。
    あれは本当に痛快だった。
    不貞腐れて引き上げる岡田には嫌悪感を感じた。
    選手は時価。落ち目のベテランには早く見切りをつけるのは
    指揮官の重要なスキルだと思った。

  22. 阪神暗黒時代、勝てる投手は 野田さんかキーオぐらいだったからな~ 当時オリックスファンだった自分としては野田さん来てくれてラッキーだった

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