戦国時代、特に中国地方を支配した影響力のある大名、尼子経久。その人間像については多くの疑問が存在します。この動画では、その真実に迫ります。
2chのスレッドで語られた尼子経久についての様々な意見と情報をまとめ、尼子経久の人間像を深く掘り下げます。彼の治世、政策、戦略、そして人間性について、歴史愛好家や一般の人々がどのように語っているのか、興味深い意見と見解をお届けします。
独自の視点から、尼子経久の評価や彼が歴史に残した足跡について考察します。簡潔でわかりやすい解説を心がけ、初心者でも楽しく学べる内容となっています。
歴史好きも、そうでない方も、この動画を通じて、戦国時代の大名・尼子経久について新たな発見や理解を深めていただけることを願っています。どうぞお楽しみください。
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晴久が急死したのが尼子衰退を早めたな…
一人で主家乗っ取ってそれを中国地方ほとんどを支配する大名に一代でやった
上洛する実力あるわね。
個人的には尼子経久・毛利元就・大内義興は武田信玄より強いと思う。
三大謀将が全員、中国地方の武将とは…
毛利が何故か異様に恐れた山中鹿之助という存在…
私のイメージでは、尼子経久は天本英世。
インテリなんだけど野心満々な因業ジジイ。
緒形拳さんの経久は実は代役。
本当は萬屋錦之介さんが演じる予定だった。病気降板で緒形さんに回ってきた。
「謀(はかりごと)多きは勝ち、少きは負ける。戦国の世に生きる男の有り様だ」元就の天賦の才を認め、常に元就の巨大な壁として立ちはだかった。
ドラマでも緒形経久は迫力満点だったが、唯一の苦手が姪っ子の美伊(後の元就の嫁)という展開は面白かった。
尼子ちゃんは金田一耕助ちゃんの一連の作品群ちゃんの中でも有名な「八つ墓村ちゃん」でも「陰惨なイメージが流用されてる」ね☆
中国地方の謀将として伊勢宗瑞(北条早雲)も追記されたい
毛利元就の師匠だよ。
存命中は元就でも五分にするのが精々だった晴久ももっと評価されるべき
中国地方これが全員仲間だったらヤバかった
黒田官兵衛は中国地方の武将だろうに😅
金持ちあるあるだなw
吉川経基に才を見込まれるのも凄い
尼子経久は1997年度のNHK大河ドラマ「毛利元就」で緒形拳さんのイメージが余りにも強すぎる‼️
ん
鹿煎餅さんは子孫が凄まじいからそっから名が売れた、とかじゃないの?
大河ドラマの緒形拳のイメージが強い。でも、実際の尼子経久は違うタイプだと思う。尼子経久は、下克上ではなく、あくまでも、本家にあたる京極氏の一門として、出雲の支配者になった。そもそも、室町時代の初期の京極家の当主、佐々木道誉の男系子孫なんだし。
割と晴久も優秀だったのにあんま評価されてないの哀しい
何でもやるで?(もっとデカいもん頂くけどな)
尼子氏の存在がなければ、毛利元就は躍進できなかったと思ってる。
大河ドラマ毛利元就で緒方拳さんが演じられたのでそのイメージが強くありますが、その中でも高嶋兄君の『城を抑えました!。』に対し『港はどうした?。』と返されて『港は抑えておりません。』と言われ経久が殴り『港を制し商業を抑えるのが先で城は二の次!。』と言う様な演技や、大内氏から贈られた貝合わせを部屋で並べて『出雲・石見・長門・周防・安芸・備前・備中・備後・因幡・美作・伯耆。う~ん播磨・淡路も欲しいな。』と並べ高島兄君から『父上。貝合わせはお気に召しませんか?。』に対し『儂に貝合わせは合わんな。』と言う様なちょっとお茶目なシーンもあれば、最後元就に会いに行った時に『策多きは勝ち、少なきは負ける。これが戦国の世の常だ。』と言い残したシーン等結構鬼と言われながらも表現豊かな感じがする人と言うイメージがありますよね。
きっとそんな彼が山中幸盛に出会って居たとすれば『武勇ばかりでは功は立てられん。知略も備え知勇兼備の武者となれ。』と言われていたのかなと感じますよね。
北条早雲は戦国のハシリでないが、尼子経久はマジもんで戦国時代のハシリ。
謀将と呼ばれる事が多いが、むしろ臨機応変な機会主義者という印象が強い。
元就唯一勝てる西国の謀神それが経久
謀事多きは勝ち少なきは負けるんよ
もし尼子経久が遅く生まれたいたら(50年か100年)どうなっていただろう
大内相手に五分五分どころか押してた人物だからマジで凄いんだけど、この頃が絶頂期だった所為か尼子家全体でエゲつない事や悲惨な事をしてるから、滅びたのは必然なんだよな😅
緒形拳の演じた経久の迫力は凄かった。
尼子経久は鬼でござるというセリフが印象的。
経久の凄いところは敵方を寝返らせてしっかりと使うとこかなぁ
大内氏との領土争いとかそれを堅実にしてたからこそ領土拡大し続けてたり鏡山城の戦いとかは毛利吉川をしっかりつかっての勝利だったわけだしな。
元就に対しては御せないと察してか弱体化させる方向でやったから最終的に毛利から切られちゃったわけでしょ
尼子は経久が居たから成長できたが国久から世代交代になって衰えてるところを見るに朝倉宗滴が守護を勝ち取って最終的に義景で滅亡、同じだよなぁ
大内義隆を抑え込む勢力って事は当時は日本最強クラスの軍事力と外交政治力って事だな。
尼子は経久というカリスマが居てこそだったな。鎌倉室町系の名門である大内に比べてブランドも地盤も地方豪族レベル(一応京極氏庶流の名家だけど)
俺はその血が流れてる(笑)他にも有名大名の血がね(笑)でもお陰で死ぬレベルの因縁や怨念がありすぎて供養する事が沢山ありすぎて本当に地獄です(笑)
合戦は強かったが、領国経営・政治面で他の大名に遅れをとっていた印象です。国衆をしっかりと直属の家臣団に組み入れ、低い家格を高めることが必要だったのでは。完全な戦国大名にまでは至っていない印象です。
山中鹿之介の息子は、灘の清酒で財を成した鴻池新六直文です。😊😊😊
ジャガーさんが死んでなかったら違ったんやろな。
とはいえ大内は大内で尼子をがっちり押さえ込んではいるんだよね、このあたりは義興も義隆も見事。
晴久が短命だったから元就は勝てたに対して、義興に比べて経久が長生きしたから尼子は粘れてたって返しがあるの草
まあ長男失って落ち目の尼子に対して大内軍総動員の大攻勢、ってタイミングでの義興病死だからね