清原和博の野球人生はここから崩れ始めていた

清原和博の野球人生はここから崩れ始めていた



球界のウラです。プロ球界の裏エピソードを動画にしています。

※敬称について
本来なら「さん」「氏」など敬称をつけるべきですが、
ナレーションが不自然になってしまうため
あえて”敬称略”とさせていただいております。

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今回は清原の野球人生がここから崩れ始めていたという
お話です。

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  1. 清原が堤オーナーから甘やかされており、クレジットカードを貰っていたというのは、夕刊紙のゲンダイが報道しただけだし、あまり信憑性はないと思う。この動画を鵜呑みにするのは良くないと思います。

  2. 人の手って確かに怖いな
    ちょっとした誤差やかけ違いで狂ってしまうこともある
    清原の優しさ、人の優しさってなんだろう

  3. 若い頃の身体の細い清原は本当にかっこ良かったな😂

    後、日本シリーズで優勝する直前にファーストで男泣きしていたシーンは最高に感動したよ😂

    どうしてこうなった??

    そして松阪もね🤣🤣🤣

  4. 清原は最近プロ野球のキャンプで臨時コーチを任されたり、プロ野球ニュースに出演するなど球界に復帰出来て良かった。
    これからも若い選手に自身の技術や経験を伝えることで球界に貢献してほしいな。

  5. 清原は才能だけでプレーしていたと言われてるけど、内田順三コーチや土井コーチなど清原を近くで見てきた指導者は口を揃えて、他の選手の何倍もバットを振るなど練習に打ち込んでいたと言ってました。

    また現役時代は酒も辞めていたし、清原が野球に対して真摯でなかったという印象は間違ってると思います。

  6. 清原さんは才能に甘えてプレーをしていたように言われているけど、西武の土井コーチが清原は他の選手の何倍もバットを振っていたと言ってたし、真摯に野球に打ち込んでいたと思います。

  7. 清原が試合後に球場の外で出待ちしている沢山のファンに対して、毎日一人残らずサインをしていたのを憶えてます。
    優しい人だったから今でも人気があるのだろうな。

  8. 堤オーナーは関係ない!
    実力と努力で1年目から4番を勝ち取ったんだ!
    清原は無冠の帝王と呼ばれるが優勝経験数が多い選手。
    自分よりチームの勝利が優先だったことが数字で分かる。

  9. かつての西武鉄道グループに於ける堤義明は、今の北朝鮮の金正恩と同じ。

    絶対的権力を持った堤ゆえ、側近は皆、イエスマンばかり。逆らえば左遷。
    堤が清原を寵愛し過ぎたせいで、周囲が腫れ物に触るような扱いで何も言えなくなってしまった。

    入ったチームが別か、オーナーが違っていたら彼の野球人生はもっと変わったものになっていたと思うだけに残念。

  10. 1年目から3割30本。仮に成長しなかったとしてもこれを20年続けるだけで600本行けるんだから当時の人が夢を見るのもわかるなぁ

  11. ルーキーの清原は600万の年俸のうち250万以上を罰金で取られた。(本当は50万→100万→200万だったけど200万は東尾が値切って100万に負けてもらった)

  12. 政財界の大物でも中々入れないコクドの会長室のソファでふんぞり返る権利を与えられていた清原。それ以外は堤に叱責されに幹部が立ち入れただけ。

  13. 清原はかなり四球を選ぶ待球型の打者でした。 積極的に打ちにいくタイプだったら、本塁打や打点はもっと伸びたと思う。
    出塁率4割超なんて誰も注目しなかった時代にそういうプレーをしていたということは、自分の成績だけを追い求めていたわけではなく、黄金期西武のチーム至上主義の野球を体現していたプレイヤーだったと思います。

  14. 中越地震で被災した際、震度5弱程度の比較的被害の少ない地域にも関わらず清原さんが学校にグローブとボールを寄付してくださり、休み時間にそのグローブとボールでキャッチボールをしていた思い出があります。
    もっと被害のあった地域にも寄付されていると思うので相当数の寄付をされていたんだと思います。
    清原さんの優しさとプレーは忘れません。今後も応援しています。

  15. 高卒1年目で、打率304、ホームラン31本は、すごすぎる、しかし、キャリアハイが打率307、ホームラン37は物足りない

  16. う〜ん、様々手を尽くして寵愛してきたってぇプロセスは理解した。でも、そこからシャブに手を出すところの経緯は、かなり飛んでるんだよなぁ。結局反社連中の接近を許しちまったってえのは、誰も守ってやらなかったんじゃないの?逆に。

  17. ファームでじっくりだった場合はもしかしたら逆に天性の柔軟なバッティングを失うのが早かったかも知れないし…. こればっかりはどうなってたかわからない。

  18. 当時まだまだ新設球団(1979〜)だった西武ライオンズ。人気獲得のために野村・田淵・江夏といった往年のスターを獲得してました。そんな球団にとって清原は、絶好の存在でしたもんね。

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