1977年に放映された〈横溝正史シリーズ〉の最終作『悪魔の手毬唄』(全6話)を批評します。
当初、5話構成でしたが、高視聴率を理由に、撮影途中に6話に変更されました。その強引な要請をそつなくまとめ上げたのは、プログラムピクチャーの名匠・森一生の手堅い演出力だったのではないでしょうか。古谷一行の金田一耕助、長門勇の日和警部が、最もよく描かれているという点においても特筆すべき作品です。
【動画の補足】
動画内での「ゆかり御殿」に関する発言について、コメント欄にて「稲垣吾郎版手毬唄にはゆかり御殿が登場する」とのご指摘をいただきました。動画本編にもテロップで追加しました。ご指摘いただきありがとうございました。(いつか稲垣版が視聴出来る日が来ることを祈りつつ)
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#横溝正史 #金田一耕助 #古谷一行 #悪魔の手毬唄 #横溝正史シリーズ #昭和のドラマ #森一生
即効性があろうとなかろうと山椒魚が浸かってた水を飲んで鳥目が治るかいな。
マムシ酒じゃないんだから。
そもそも放庵が水瓶の中に山椒魚を入れておいたのは後で食おうと適当な入れ物がないから取り敢えず入れておいたんだろ。
おっしゃる通り・・原作に忠実なのは「ドラマ版のこのシリーズ」だと思います。市川崑さんの映画は「圧倒的な映像美」が素晴らしいけど、極論を言えば岸圭子さんのどこか壊れている美貌性に焦点を当てた作品だと思ってしまいます。子供を思う母親の悲恋さを表せているのは、ドラマ版だと思っています。ただ・・映画版のラストシーンは、超名作だと思います。なお、悪魔が来たりて笛を吹くにおいても、古谷一行バージョンに勝てるものは、いまだにないと思います。
稲垣吾郎版もyoutubeで視聴可能?なので観てもらいたい。自分は全体的に稲垣吾郎版を高く評価している。
原作においても,「犯人だと明確な根拠』が、この手毬唄にはないのではなかったかしら❓
全部,死人に口なしで、第三者的視点からみての明確な証拠か他の作品より,ほとんどないような記憶が.⁉️
歌名雄役の高岡健二の純粋で真っ直ぐな熱さがあったのと裏返しで恋人と妹を失い、母親が連続殺人犯であったという悲惨な結果に対する絶望感がより強調されていて良かったと思います。お幹さんを演じている役者さんは三戸部スエという方でATGの本陣殺人事件、この横溝正史シリーズの真珠郎に出演されています。他の脇役では重要な証言をされる宿の女中の日色ともゑと別所春江の川口敦子(TVドラマ人間の証明の霧積の若女将役も)がいい味を出してます。
私は悪魔の手毬唄については、映画版より古谷テレビ版派です。大空ゆかり、泰子、文子、里子のキャラが立ってるような気がします。映画版は脇を固める家族連中のデフォルメが際立ちすぎてますよね。大滝秀治の権堂先生といい、仁礼嘉平、由良敦子、由良の御隠居さん、別所春江、辰三などなど。テレビ版では、夏目雅子さんの大空ゆかり、別所千恵子もそれなりの新進スターとして村の青年団に歌のサービスしたり、最後に高岡健二扮する歌名雄が真相を知って絶望しているところに駆けつけて「兄さん!」って叫んで諭すところはいつ見ても泣けます。また、なかなか出てこないなと思ってんですが、池波志乃さんの里子の言及もあってよかったです。永島瑛子さんの里子もよかったんですが、何しろ仁科明子と絡むシーンもなくてちょっと残念でしたね。最後に山椒魚なんですが、今の放送版ではなく、昔見た時には、顔を焼かれて顔が潰れたようになってもがき苦しむ源治郎の白黒回想シーンがあったかと思いますが、その醜怪な場面を想起するための小道具だったような気がします。作り手にとっては精力増強剤とか夜盲症の特効薬とか適当に繕って入れたんじゃないでしょうか。
ゆかり御殿の炎上は稲垣版で描かれています
私は一時大映版八つ墓村を真剣に妄想する遊びに凝っていましたが、そのさい想定していたのは監督森一生、撮影は当然宮川一夫、金田一市川雷蔵、森美也子若尾文子、田治見要蔵城健三朗(藤山浩二と迷うが)の布陣、里子は若づくりしてもらう前提で藤村志保
監督を三隈研次ではなく森一生で考えるのは、もちろん横溝正史シリーズ版手毬唄ありきのことです
大映はミステリ映画を超大作にする70年代邦画メソッドが生まれる前に倒産してしまいましたが、特撮美術をふんだんに使った超大作映画はむしろ大映が得意とするものでした
それだけに築地米三郎率いる大映特撮チームが描くゆかり御殿炎上は妄想の甲斐があります
いやぁ~楽しかったです。まさか1977年の天気まで調べられたとは。素晴らしいです。他の横溝正史シリーズについても考察をお願いします。
すごく分かりやすい共感できる解説でした。ありがとうございます。私は個人的には映画版よりこちらのドラマ版の方が好みです。キャストが素晴らしいのはもちろんですが、おっしゃるように「映像に品がある」「それぞれのキャラが上品」ということには全く同感です。ただ日和警部のリカへの想いはちょっと唐突すぎて「あれっ?」と思いましたが。市川版は大げさな演出が目立つせいかコントっぽくなるマイナスがあるように思います。三木のり平さんがやる分には大好きなんですが。このシリーズはあと「獄門島」も名作ですね。これも市川版を越えているように思います。余談ですが、つのだじろうさんの漫画の「悪魔の手毬歌」があまりにも独自のアプローチで面白いです。オカルト専門の方なので松竹「八つ墓村」の世界観に近いです。興味を持ちましたら是非!
昭和39年生まれです。小学校6年生の時が横溝正史ブームでした。犬神家も日比谷で見ています。BS松竹東急の再放送で古谷金田一シリーズを凡そ50年ぶりに見て、ネットでうろうろしていたら、こちらのチャンネルに辿り着きました。佐藤友之さんの「金田一耕助さん、あなたの推理は間違いだらけ」を読むと、金田一作品の矛盾点(横溝正史のミス?)が数多指摘されていますが、シャーロキアン的に楽しむのが最上の策だと思います。
自分的には金田一は古谷さんがベスト。
横溝正史シリーズの「悪魔の手毬唄」は番組のオープニングにも毎回使用された手毬唄のメロディーが最高でした
ただ若干テンポの速いメロディーなので曲に合わせた五百子刀自の高速毬付きが可笑しかったです
つい昨日まで連続でBS_JCOMで放送してましたね
金田一は石坂版か古谷版かというのは、選択とレビューの楽しみがありますね。あくまで私見ながら、私は演出コードや映像エクリチュール等、諸々の制約と要因から、銀幕劇場型/居間お茶の間型とに類型区分し、独り勝手に独断考察して楽しんでます。前者は映画版で快楽使嗾視線、後者はテレビ版で緊張弛緩視線を志向します。言うまでもなく、石坂浩二は前者で、古谷一行は後者がふさわしいと思っています。あくまでカテゴリーなので、優劣/善悪は無関係、どちらを観賞するかは気分任せですが🎵
横溝正史シリーズの『悪魔の手鞠歌』が、映像化された横溝作品の中で1番好きな昭和ミステリマニアです。シナリオもキャストも音楽も文句のないこの作品、ただ1つだけどうにも腑に落ちないところがあります。それは放庵の死体を猫車で運搬したことを金田一が指摘し、それに日和警部が「猫車の轍のあとがない」と反論したシーンです。金田一は得意顔で「雷雨があったからです」と言いますが、なぜ犯人は犯行のあとに雷雨のあることを予測できたのでしょうか。そもそも犯人にとっては猫車運搬での痕跡の有無など関係なかったのでしょうかね?金田一は犯人の幸運を指摘したのでしょうか。
当時小学生だったのですが、このシリーズの最終回の音声を録音して文字おこししてました。😂懐しい。初めて文庫本でも読んだりして。横溝正史シリーズの帯がついてましたね。