尾崎豊の死の真相——1992年4月25日早朝5時、千住の民家で発見された全裸の遺体、致死量の2.64倍の覚せい剤、そして20年伏せられた2通の遺書【繁美夫人・裕哉】

尾崎豊の死の真相——1992年4月25日早朝5時、千住の民家で発見された全裸の遺体、致死量の2.64倍の覚せい剤、そして20年伏せられた2通の遺書【繁美夫人・裕哉】



1992年4月25日午後0時6分。東京・日本医科大学付属病院で、26歳のシンガーソングライター・尾崎豊はこの世を去りました。発表された死因は「肺水腫」――しかし2年後、致死量の2.64倍を超える覚せい剤が体内から検出されていた事実が、流出した「死体検案書」によって明らかになります。

その日の早朝5時、彼は自宅から500メートル離れた足立区千住河原町の民家の軒先で、全裸で全身傷だらけで発見されました。なぜ全裸だったのか。なぜ専門医の診察を拒否し自宅に戻ったのか。そしてなぜ、その数時間後に容態が急変したのか――30年以上経った今も、すべての謎は解けないままです。

そして彼が遺した2通の遺書。妻・繁美さんが20年間封を開けることができなかったその遺書の全文が、2011年11月、文藝春秋誌上で初めて公開されました。

「先立つ不孝をお許し下さい。先日からずっと死にたいと思っていました」

これは、東京都世田谷区の公務員家庭に生まれた一人の少年が、26年という短い時間の中で何を歌い、何を恐れ、そして何のために2通の遺書を遺したのかという物語です。

【関連人物】
・尾崎健一(父)
・尾崎絹枝(母)
・尾崎康(兄)
・繁美夫人(妻)
・尾崎裕哉(長男)
・須藤晃(プロデューサー)

【主要作品】
・15の夜(1983)
・十七歳の地図(1984)
・卒業(1985)
・シェリー(1985)
・I LOVE YOU(1983/再注目1991)
・僕が僕であるために(1983)
・OH MY LITTLE GIRL(1984)
・太陽の破片(1990)

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View Comments (10)
  1. 尾崎は今で言う
    メンヘラ体質で
    薬物経験者だから
    死んでも不思議じゃないやろな😅

    メンヘラ→薬物→自殺?

    これはお決まりパターンだからさ😅

  2. その発言止めて下さいメンヘラでも薬物依存者でもどの様な死に方でも我々ファンの心中に生き続けてますよぉ〜

  3. この死因に後に殺し屋により覚醒剤をアルコールに入れダブルでヘロヘロにし人気ない路地で数人で暴行した。彼は命乞いをせずただ帰りたいとだけ何度も言っていたとの事。全裸は暑くなり脱いだのだろうとの事。恨みはない。つまり依頼された。詳しくは記事を検索して下さい。
    病院では全身アザと腫れ今帰るのは危険との医師を振り切り本人が帰りたがるからって帰しますか?
    それに暴行時より言っていたため、病院にいて安全と自覚してないと解釈出来ます。それをそのまま帰しますか?数時間後死亡で病院に帰す。生きてちゃんまずいのか?
    妻より遺書ごあったと警察に提出。これは妻が偽装した遺書でした。
    妻を疑い尾崎の父が裁判するも証拠なく敗訴。
    その後息子を連れ即アメリカに移住。息子にも父の存在を知らせ隠す。
    因みに尾崎死亡前に離婚したいと持ち出され妻は認めなかった。慰謝料で終わりになるより永久に・・・

    まとめ
    離婚話を妻が拒否
    医師を無視、死亡で帰す
    偽装遺書(妻をべた褒め)
    即外国に移住
    息子に父の存在隠す
    殺し屋から恨みはない
    (依頼されたがそれは墓場まで持っていくとの事)
    皆宗教をしてたが皆脱退、妻だけはやめない。

    何故亡くなりそか事で誰が得をするのか考えて下さい。

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