仁義なき戦い、トラック野郎で昭和の映画界を引っ張った菅原文太。
スクリーンの中の強い男とは裏腹に、私生活では大きな出来事に見舞われていました。
2001年10月23日、長男で俳優の菅原加織が東京・世田谷の小田急小田原線の踏切で電車にはねられ、翌24日未明に31歳で亡くなったのです。
俳優として歩み始めたばかりの長男でした。
以来、文太は「おれはもう、仕事はできない」と繰り返すようになり、自宅にこもる日が続いたといいます。
神棚には息子の名を記した札、そのそばには愛用していたギター。
そして文太は、息子の遺骨をある場所へ納めることを決めます。
父が選んだその場所とは、いったいどこだったのでしょうか。
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菅原文太が選んだのは、福岡県の太宰府天満宮でした。
長男・加織を失ったあと、文太は息子の遺骨を分骨し、神道の聖地である太宰府天満宮に納めています。理由は「息子と同じ場所で眠りたい」という願いからでした。
2014年11月28日、文太は81歳でこの世を去ります。その遺骨もまた、生前の願いどおり息子と同じ太宰府天満宮に納められました。13年の時を経て、父と息子は同じ場所で並ぶことになったのです。
事故のあとの文太は「おれはもう、仕事はできない」と繰り返し、自宅の神棚に息子の名を記した札と愛用のギターを並べて、ただそれを見つめる日々だったと伝えられています。晩年に山梨で農業を始め、2012年に俳優引退を宣言した背景にも、この出来事があったのかもしれません。
みなさんの記憶に残っている菅原文太の作品はどれですか?コメントで教えてください!
太宰府天満宮に、遺骨があるんですね、今度いきます私も、福岡に、います
普通に墓地で良いよー天満宮ーよりすぐいける場所が一番